人間不信の世の中

人間不信
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人間不信の世の中ではいろいろな悲しい事件がおきます。この世の中は混乱の極みです。政治不信から、世の中に渦巻く犯罪まで非常に悲しい限りです。なぜ人間社会は、相も変わらず同じ間違いを犯し続けるのでしょうか。

政治不信から傷害事件まで

政治不信と言われて久しくなります。不信は政治に限ったことではありません。人間不信、世の中不信に悩まされた人々は、ストレスのはけ口を見つけることが出来ません。この様な人々は、些細なことで殺人を犯したりしてしまいます。ちょっとイライラしたからといって、若者が駅の構内で刃物をもって人々の命を奪ったり、また喧嘩になってしまい相手の方に傷害を負わせてしまった事件は枚挙にいとまがありません。または、親兄弟、子供を誤って殺してしまったと言うような事件は、テレビの刑事ものを思わされます。一見、世の中は平和そうに見えますが、多くの不信が人の心には渦巻いているように、管理人には思えます。

オレオレ詐欺

毎日のように耳を疑うようなおぞましい事件を耳にします。もう驚きませんが、この世の中がすさんでいると実感するだけです。とりわけ、その中でも極め付けが、ひき逃げ事件とオレオレ詐欺事件です。オレオレ詐欺もこれだけ報道されているのになぜ?この世の悪に対して憤りを覚えます。しかし、このような人間の生き様は、遠い昔から続いているのです。科学や医学がいくら発達しても、人間の性に変わりはないのです。 ローマ1章29節ー32節をクリック。

この世には目に見えない悪の力が働いています。聖書は、その力を悪魔と言っています。悪魔の目的は、人間が創造主なる神から遠くはなれ、その教えに反して生きていくことです。さらに人間通しが、争い傷つけあうように仕向けているのです。しかし、この世に生きる私たち人間は、この悪魔の力、影響を無視し続けています。

嘘偽りを言う人間の罪

他の人を直接傷つけなくても、嘘偽りを言われることによって、人間は傷つけられるのです。現代のベートベンと称された佐村河内守氏が、実はまったくの偽者であったという話を聞いた時にはさすがに驚きました。歩くときは杖をつき手首には包帯を巻き、曲創りのときには頭を壁に打ち付け、いかにも苦悩の中で作曲している様子が、ドキュメンタリーとして放送されていました。ここまでくると世の中、何を信じていいのかわからないと感じる人はいるかもしれません。


このような人を裁き、人格を悪と決め付けるのは簡単です。しかし、嘘偽りを言ってしまう、虚栄心ゆえに自分をより良く見せようとするのは、誰もが持っている人間の性ではないでしょうか。私たしたち人間は、心の内に罪という大きな問題を抱えています。

情報が入り乱れている世の中

人類の歴史の中で、現代ほど情報が入り乱れている時代はありません。情報が入り乱れているから、何が真実で何が本当なのか、非常にわかりづらい世の中になっています。ネット上で流れている情報で何が真実なのか、何が誤った情報なのか、その分野の専門家でも簡単には区別はつかないかもしれません。


2018年、東京都渋谷のハローウィンの騒ぎを見た時、現代の世の中は混迷、混乱の極みに達していると、感じたのは私だけでしょうか。そこにいた人たちは、まるで混乱状態を楽しんでいるように見えました。混乱を見て興奮している様子です。そこにいた若者たちは、他の人が倒れているのを見て、まるでエンタテイメントでも見ているかのように興奮している、または楽しんでいるだったのです。多分、私の思い過ごしだと思いますが、本当に怖い世の中になってきました。


私が書いた記事の内容が、そのままネット上で、無断で掲載されて、そのサイトの記事として書かれているのを見ると、「あ~このような世の中に私たちは生きているんだな」とつくづく考えさせられます。


当サイトのように宗教的なサイトはもちろん、PCなどハイテク関係の記事、芸能関係、スポーツなど分野は様々ですが、情報が交錯しているのは間違いありません。婚活サイトも良心的なものもあれば悪質なものもあります。婚活サイトと似てそうなのが、出会い系サイトなど危ない、一つ間違うと犯罪に巻き込まれかねないサイトもあります。


また掲示板サイトでは、誹謗中傷の嵐が吹き荒れています。ストレス発散の手段なのでしょうか。ネット上では顔が見えませんから、お互いに罵倒しても怖くないと思うのかもしれませんが、お互いに精神的なダメージはあってしかるべきです。精神衛生上、非常に不健全、不健康です。

錯乱状態?

このような時代だからある人たちは、半ば気がくるってくるようになってきます。どのようなきっかけである人たちは、気が狂うのか私にはわかりませんが、ある日突然、(最近は毎年の犯罪になっていますが)「人を殺してみたくなった」という動機で、包丁を振り回したりする人がいます。その人たちは、犯罪を犯す前までは脳に障害があるとか精神異常ではなかった人たちだと、私は思います。アメリカでは銃乱射事件が後を絶ちませんが、日本は拳銃の代わりに包丁を持つだけで、アメリカと似たり寄ったりです。2019年も早いもので、もうすでに2月半ばです。今年はどんな世の中になるのでしょうか。間違いなく、アメリカでは銃の乱射事件は起きます。そして、日本でも「突然、人を殺したくなった」と言って、殺人事件が起きるのは間違いありません。

悪の力(悪魔、サタン)と善の力(神)の戦い

聖書によれば、悪魔(サタンとも呼ばれますが)はこの世の神、この世の支配者とも呼ばれています。

この世の神が、信じようとはしない人々の心の目をくらまし、神の似姿であるキリストの栄光に関する福音の光が見えないようにしたのです。(2コリント4章4節)

この世の神、この世の支配者と呼ばれる悪魔の目的は、大きく分けて3つあります。

  1. 人間を神から離れさせ、他の物を拝めさせること
  2. 人間関係(個人でも国家の関係も)に争いごとを生じさせ、人間社会を分断させること
  3. モラル観や道徳観を迷路に導き、社会全体を混乱させること。
  4. 結局、自己中心的に生きるしか、自分の身を守る手段はないと思わせる

悪魔は見事にその目的通りに、人々の心を支配して、人間社会を支配していると、私は思います。このような人間社会で、私たち人間は気が狂わないように理性で押さえていますが、でも霊的な病にかかります。神の目から見れば、私たちは病人です。

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日本人は、一般的に自分は善人と考えている人が多いようです。私もその一人でした。法律に違反するようなことをしたことはありませんでしたから、自分を善人と考えていたのです。しかし、神の目から違ったように映っていたようです。

イエス・キリストを心で受け入れて

罪によって病気状態になってしまった私たちを、誰が癒してくれるのでしょうか。近くにある総合病院では無理です。人間の罪の呪縛は根っこが深いです。私たちは嘘偽りを言ったことはあるでしょうか。この自問に対して「一度もない」と言ったら新たな嘘になってしまうでしょう。


私たち人間は、罪悪においてはまさに「どんぐりの背比べ」、「五十歩百歩」です。根本的にそれほど変わりはないのです。「佐村河内守氏の罪は、私の罪よりも重い」と私には言えません。私も彼も同じように、神によって愛されています。小さな罪だから関係ないと言えません。小さな罪だから、私が罪人ではなくなるとはいえません。どんなに小さな罪悪であろうと、たったの1回の過失であっても、私たちは罪に定められるのです。その罪の重荷からキリストは私たちを解放してくださるのです。イエス・キリストを心で受け入れて・・・人生が変えられます。

読者の皆様の上に神の愛が注がれますように、心よりお祈り申し上げます。

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Copyright © 2019 聖書入門-キリストを受け入れ人生が変わる

時刻になったので、イエスは食事の席に着かれたが、使徒たちも一緒だった。イエスは言われた。「苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと、わたしは切に願っていた。言っておくが、神の国で過越が成し遂げられるまで、わたしは決してこの過越の食事をとることはない。」そして、イエスは杯を取り上げ、感謝の祈りを唱えてから言われた。「これを取り、互いに回して飲みなさい。言っておくが、神の国が来るまで、わたしは今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい。」

それから、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。」

食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。しかし、見よ、わたしを裏切る者が、わたしと一緒に手を食卓に置いている。人の子は、定められたとおり去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。」そこで使徒たちは、自分たちのうち、いったいだれが、そんなことをしようとしているのかと互いに議論をし始めた(ルカ22章14節ー23節)。

あらゆる不義、悪、むさぼり、悪意に満ち、ねたみ、殺意、不和、欺き、邪念にあふれ、陰口を言い、人をそしり、神を憎み、人を侮り、高慢であり、大言を吐き、悪事をたくらみ、親に逆らい、 無知、不誠実、無情、無慈悲です。彼らは、このようなことを行う者が死に値するという神の定めを知っていながら、自分でそれを行うだけではなく、他人の同じ行為をも是認しています。(ローマ1章29節ー32節)