人間の罪の定義と影響を教えてください

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罪とは一体何でしょうか。聖書が教える罪の概念は何でしょうか。日本人にとって「罪」と言われもピンと来ません。罪=犯罪だからでしょう。人間の罪は、聖書の教えの中でも日本人にとって一番、理解しがたいかもしれません。罪という言葉自体、犯罪にかかわるという意味で使われますから、「自分には罪などない」と思われるのも当然です。ここでは聖書をもとに罪についてじっくり考えてみましょう。 ローマ1章18節ー32節をクリック。


人間は3つの関係を罪によって破壊してしまいました。まずは第一に創造主なる神の存在を認めないで、むしろ創造主なる神を偶像に変えてしまい、 その偶像を礼拝するようになりました。第二に、人間は自分自身を矛盾した存在にしてしまいました。自己中心的でありながらそんな自分を好きには慣れない存在です。最後に、人間はお互いを蔑みあい、憎み合いようになり、他の人との人間関係を壊してしまいました。

罪の本質

人間の愚かさによる様々な行い、思い、感情を、聖書は罪と定義付けています。ここでは特に「姦淫」を例にとり罪について説明します。 マタイ5章27節ー30節をクリック。


イエスが生きた時代も現代と同じように姦淫を犯すことは、裁きを受けるべき社会的な罪でした。ところが、イエスはそのような判断基準をくつがえす様なことをここで言っています。心の中で女性を性的な思いをもって見ること自体、姦淫と同等の罪であると言っているのです。ここでイエスは、「罪とは実際に行動として行なっていなくても心によってなされてしまう」と明言しているのです。


悪いことをしても、絶対に人に知られないというような魔法のランプがあったら使いますか。銀行に行ってすべてのお金を盗んでも、誰にも知られないのです。あなたの手に入らないものはありません。嘘をついても誰も知ることはありませんし、殺人でも知られないのです。誰かが憎かったら殺してしまえばいいのです。このような魔法のランプをあなたは使いますか。多くの人は「こんなものがあったら使う」と答えるでしょう。しかし、良心の呵責に悩まされることでしょう。たとえ良心の呵責を感じなくても、ただ一人あなたが行なっていることすべてを、知っている人がいます。あなたが何を隠れてやっているか、すべて知っている方です。それが神なのです。


事実、実生活の中で多くの人は、これと同じようなことをしています。人に知られなければ何でもやってもいいという考え方です。しかし、そんなことはありません。その報いは、この生きている間に来るかもしれません。確かなことは、人は死んだ後、もう後戻りが出来ない時に、必ずその報いを受けるということです。

この世の中を見て罪についてわかる事

罪が何であるかを理解するには、少し世の中を観察するのが早いかも知れません。「この世の中ちょっと狂ってるかな」という疑問をふと思ったことはありますか。世界中のどこかで戦争は起こっています。日本は、と目をむけますと、毎日のように殺人事件と強盗事件が発生し新聞の3面記事の欄を埋めています。また、毒物による傷害または殺人が、毎月、月間の出来事のように起きています。さらに政治と企業での賄賂のやり取りや不正は後を絶ちません。毎年のように政治家または会社の役員が賄賂のやり取りで逮捕されています。これは氷山の一角に過ぎないでしょう。また青少年の犯罪は年々増加しています。子供が親を殺してしまった、またはその逆に親が子を殺してしまったなどの事件はいったいどれほどあったでしょうか。実際に、ある一定の年齢の少年を一般成人として扱う法改正も行われようとしています。


では、私たちの普段の生活ではどうでしょう。車、保険、土地、家などの購入、アパートの賃貸、電話等でのいろいろな勧誘などで、私たちはいろいろな契約または取り引きを結ぶことがあります。その中で、だましだまされたりがこの世の中でしょうか。車を売るデイーラーは、初めから値引きを計算に入れて見積もります。また保険を売るセールスマンは、被保険者にとって不利益なことは決して言いません。こちらから尋ねても、はぐらかした答えが返ってきます。電話での勧誘、訪問販売の勧誘でも、セールスマンは決して商品の不利な点は言いません。訪問販売でうまく売りつけた人も、車を相場の値より高く売り付けた人も、他の所で所詮どこかでだまされているのでしょう。


現代は宇宙へロケットを飛ばし、コンピューターで瞬時に通信もできるようになった時代です。科学の可能性はとどまる所を知りません。そんな時代になっても、人間の愚かさは変わりません。そしてこの愚かさは、私たち自身を苦しめる愚かさです。しかし、人間はロボットではありません。人間は神によって自由意志を与えられ、罪を行ない続けるか、それとも神の教えに従って生きるかの選ぶ権利を与えられました。


人間の罪の影響

罪は人間社会に様々なかたちで、人間社会に影響してきました。4つに大きく分けて考えてみましょう。


第一に、人は天地万物を創造された神を偶像化してしまいました。創造主を礼拝するよりも創造された山、河、月、太陽や人間などの被造物を礼拝するようになったのです。また人が自身で造った偶像を礼拝したのです。


第二に、罪は人間関係を破壊しました。うまくいっている人間関係においても、何かのきっかけで罪の種は人の心に入ります。何年もかけて築き上げた人間関係を一日で破壊することはたやすいことです。


第三に、人は矛盾した存在となりました。非常に自己中心的でありますが、そのような自分自身を嫌うものになってしまったのです。ある日は自身に誇りを持ち、またある日は嫌悪感に才悩ませる矛盾した存在になってしまったのです。お互いに愛しているといって結婚しても、1ヶ月もするとその愛はなかったかのように行動することも可能です。このような矛盾した人の行動は数え上げたら際限なくあります。


第四に、これらの人間社会への影響は、結果的に神と人間の関係を破壊してしまったのです。人は、神の教えに逆らい罪を犯し、神から離れた存在になってしまったのです。 この罪の中で人はもがき苦しみ、最終的に神との関係を完全に絶ち切ってしまう死を迎えます。人は死に対して恐怖を覚え、罪に対して恥を覚えます。しかし、人は自分自身を理解していませんから、このような感情や罪にをどう対処したらよいかわかりません。そのような状態で、人は救いの手を哲学に求め、あるいは人間が作り上げた宗教に求めたのです。それも空しい努力に過ぎません。なぜなら、人は罪の根元を知らないからです。


この罪の呪縛に、人はどのように対処できるのでしょうか。

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時刻になったので、イエスは食事の席に着かれたが、使徒たちも一緒だった。イエスは言われた。「苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと、わたしは切に願っていた。言っておくが、神の国で過越が成し遂げられるまで、わたしは決してこの過越の食事をとることはない。」そして、イエスは杯を取り上げ、感謝の祈りを唱えてから言われた。「これを取り、互いに回して飲みなさい。言っておくが、神の国が来るまで、わたしは今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい。」

それから、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。」

食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。しかし、見よ、わたしを裏切る者が、わたしと一緒に手を食卓に置いている。人の子は、定められたとおり去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。」そこで使徒たちは、自分たちのうち、いったいだれが、そんなことをしようとしているのかと互いに議論をし始めた(ルカ22章14節ー23節)。

不義によって真理の働きを妨げる人間のあらゆる不信心と不義に対して、神は天から怒りを現されます。 なぜなら、神について知りうる事柄は、彼らにも明らかだからです。神がそれを示されたのです。 世界が造られたときから、目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることができます。従って、彼らには弁解の余地がありません。なぜなら、神を知りながら、神としてあがめることも感謝することもせず、かえって、むなしい思いにふけり、心が鈍く暗くなったからです。自分では知恵があると吹聴しながら愚かになり、滅びることのない神の栄光を、滅び去る人間や鳥や獣や這うものなどに似せた像と取り替えたのです。

そこで神は、彼らが心の欲望によって不潔なことをするにまかせられ、そのため、彼らは互いにその体を辱めました。 神の真理を偽りに替え、造り主の代わりに造られた物を拝んでこれに仕えたのです。造り主こそ、永遠にほめたたえられるべき方です、アーメン。

それで、神は彼らを恥ずべき情欲にまかせられました。女は自然の関係を自然にもとるものに変え、 同じく男も、女との自然の関係を捨てて、互いに情欲を燃やし、男どうしで恥ずべきことを行い、その迷った行いの当然の報いを身に受けています。

彼らは神を認めようとしなかったので、神は彼らを無価値な思いに渡され、そのため、彼らはしてはならないことをするようになりました。あらゆる不義、悪、むさぼり、悪意に満ち、ねたみ、殺意、不和、欺き、邪念にあふれ、陰口を言い、 人をそしり、神を憎み、人を侮り、高慢であり、大言を吐き、悪事をたくらみ、親に逆らい、無知、不誠実、無情、無慈悲です。 彼らは、このようなことを行う者が死に値するという神の定めを知っていながら、自分でそれを行うだけではなく、他人の同じ行為をも是認しています。(ローマ1章18節ー32節)

あながたも聞いているとおり、『姦淫するな』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである。もし、右の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨ててしまいなさい。体の一部がなくなっても、全身が地獄に投げ込まれない方がましである。もし、右の手があなたをつまずかせるなら、切り取って捨ててしまいなさい。体の一部がなくなっても、全身が地獄に落ちない方がましである。(マタイ5章27節ー30節)