キリストが教える祈りの出発点

祈り
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まじめなクリスチャンであっても祈りが、自分中心的になります。つまり、「あれ下さい。これをして下さい。」という祈りです。自分の必要なもの、望んでいるものをお願いする祈りです。これでは人間が作っている宗教と変わりがありません。しかし、キリストが教える祈りの出発点は、私たちが考えるものとは違います。聖書的な本当の祈りはどんなでしょうか。


祈りの始め

天におられるわたしたちの父よ、御名が崇められますように。御国が来ますように。御心が行われますように、天におけるように地の上にも。(マタイ6章9節ー10節)

一番最初に祈ることは、創造主なる神を褒め讃え感謝することです。さらに自分の希望や願いを言う前に、神の国、つまり神の支配がこの地に宿るように祈り、さらにその御国において神の御心が行われるように祈ります。

聖書が教える祈りは、念仏のように、同じ言葉を繰り返し言うようなものではありません。祈りは神との会話です。天にいらっしゃる創造主なる神に、私たち創造された側が話しかけるのです。日々の生活で必要なものを下さいとお願いするのです。ごく自然な行いです。だから、困ったときだけでなく、日々祈ります。


しかし、わたしたち人間は些細なことで思い悩んでしまいがちです。悩んでいる当人には、非常に大きな問題として見えるものです。仕事のプレッシャーもあるでしょう。会社内の人間関係、家族の問題、金銭的な問題を抱えている人もいます。仕事もない人もいるでしょう。また自分の欲望が満たされない、と思い悩んだりもします。日々、祈っている人はこのような悩みもすべて神に打ち明けます。

どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。(ピリピ4・6)

このような祈りにおいても神への感謝を忘れてはいけません。いつも神の愛とその力に感謝して、神は祈りに応えてくださると信じて祈るのです。


創造主なる神は、天にいらした神の子をイエス・キリストとして人間として生まれさせ、この方を神と人間の間の仲介者としたのです。だから、キリストを信じる者はどんなことでも、どんな問題であっても神に祈り頼めるのです。

神に祈り、神と会話できる、これ自体が素晴らしいギフトです。

主は逆らう者に遠くいますが、従う者の祈りは聞いてくださる。(箴言15章29節)

この聖句が言っているような信仰によって、私たちは神に祈りをささげます。

祈りと信仰の関係 主につながることと祈りの関係も読んでください。

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Copyright © 2019 聖書入門-キリストを受け入れ人生が変わる

時刻になったので、イエスは食事の席に着かれたが、使徒たちも一緒だった。イエスは言われた。「苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと、わたしは切に願っていた。言っておくが、神の国で過越が成し遂げられるまで、わたしは決してこの過越の食事をとることはない。」そして、イエスは杯を取り上げ、感謝の祈りを唱えてから言われた。「これを取り、互いに回して飲みなさい。言っておくが、神の国が来るまで、わたしは今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい。」

それから、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。」

食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。しかし、見よ、わたしを裏切る者が、わたしと一緒に手を食卓に置いている。人の子は、定められたとおり去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。」そこで使徒たちは、自分たちのうち、いったいだれが、そんなことをしようとしているのかと互いに議論をし始めた(ルカ22章14節ー23節)。