キリストの教え=キリスト教とは限らない

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多くの方々はキリストの教え=キリスト教と考えているのではないでしょうか。キリストの教えと読んで字を合わせればキリスト教となります。しかしキリスト教の歴史をたどってみると、そうとは限らないことに気づかされます。その理由を分かりやすく説明します。

キリスト教の歴史

ローマ帝国の時代の1世紀に、エルサレムにおいて教会が始まりました。それ以来のキリスト教の歴史を振り返ってみますと、決して誇れるものではありません。多くの内部分裂があったり、誹謗中傷の戦いを演じてみたり、または権力闘争の愚の骨頂を描いているような時代もありました。またキリストの名によってクリスチャン同士が戦争をやっていた時代もあったのです。その中でキリスト教は変化してきたのです。

2世紀の教会で初めに変化が起きます。当初、キリスト教はユダヤ教の一派と考えられていましたが、ユダヤ人たちが「違う!」と言い始めたのです。ユダヤ人たちは、クリスチャンとは一線を画し始めたのです。さらにユダヤ人ではない異邦人からもクリスチャンたちは、嫌われる存在になっていきました。このような状況のなかで、教会のリーダーたちはキリスト教の正当性を弁明し始めたのです。当時、リーダーたちの間に意見の相違があっても争い事になるほどではありませんでした。むしろ、キリスト教を弁明する方が忙しかったので内部で争っている暇はなかった方がいいかもしれません。

4世紀に入りキリスト教がローマ帝国の正式な国教になってから、状況は一変しました。この時まで迫害されてきたクリスチャンたちが、社会の頂点に立つようになったからです。ローマ帝国の教会として、教理(教会の教え)をはっきりさせる必要に迫まれました。それまで意見の違いについてあいまいにしてきた部分をはっきりさせる必要があったのです。4世紀の教会リーダーたちの間に、完全な意見の対立が起こりました。負け組である少数派になった方が異端として扱われ、勝ち組である方は正当な教理として認められ、これらの勝ち組のリーダーたちが教会のトップに君臨するようになりました。当然、ここには政治的駆け引きや、教会での高い地位との交換に金銭の授受、つまり賄賂の慣習が日常的に横行しました。

ローマ法王は選ばれたのもこの頃の時代です。教会は中世に入るとその権威と権力は、政治の長に立つ皇帝と同じくらい、またそれ以上のものになっていきました。法王になるための権力争いは熾烈を極め、3人の自称法王がいた時代もあったのです。もしかしたら暗殺ではないか?と思わせる事件も歴史上ありました。(今となってはまったく不明です。神のみぞ知るばかりです。)

ローマ・カトリック教会の堕落を嘆いた人たちが、15世紀後半から徐々に声をあげはじめました。宗教改革の幕開けです。その筆頭がマルティン・ルターであり、ジョン・カルヴァンです。16世紀ー17世紀にかけて今度は、ローマ・カトリック教会に反対していたプロテスタントのクリスチャン同士が戦うようになってしまうのです。宗教改革によって神に立ち返った人々はまたも堕落の道を歩み、分裂の道へと進んだのです。

西洋史を少しでも学びキリスト教のこのような歴史を少しでもご存知の方には、キリスト教は結局、他の宗教と同じではないかと思えるのではないでしょうか。また多く方々がキリスト教に対して懐疑心をいだいても不思議ではありません。

クリスチャンではない方の中には、キリストの教え=キリスト教と考えている方が大勢いるのではないでしょうか。しかし、事実はだいぶ違います。

すべての人間は罪人です。クリスチャンになった後でもこの事実は違いません。私たち人間は、罪ゆえに自分勝手に神のことばを自分に都合の良いように解釈したりしてしまいます。その中で人間関係がうまくいかない事もあり得るのです。教理上の解釈の問題で意見が対立していても、クリスチャンとしてお互いに愛することを忘れてはいけないのに、逆に反対者を敵のように扱ってしまうのです。事実、このような繰り返しがキリスト教の歴史です。そのような事が2世紀以降の教会に起きたのです。

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キリストが建てている教会

今現在もキリストは教会を聖霊を通して教会を建てていると私は信じています。本当の教会は、常に自分自身を吟味することを忘れません。聖霊の力によって自浄作用の能力をもっているのです。そのような教会では、人間のしがらみに縛られない、人間が作った教派の伝統や教理を出来るだけそぎ落とした純粋なキリストの教えを教えていると私は思います。

次のような数式は成り立つかもしれません。

キリストの教え + 様々な種類の教会 =総括してキリスト教と呼ばれる

管理人が目指す教会は、総括して呼ばれるキリスト教を教えている教会ではありません。様々な教派の教理を教えている訳でもありません。一人ひとりが自分の信仰に責任をもつ、そして自由に聖書を読める教会、メンバーの自由を縛り付ける事などない教会です。

メンバーの自由を奪っている教会があるとよく聞くことがあります。たとえば、他の教会に行くことは禁止されているとかです。「公に禁止されていなくても、『そのような行為は悪い行い』と思われてしまう暗黙の了解がある」と他教派の教会メンバーが言っていました。

読者の皆様が本物の教会、あるいは本物のキリストの教えをお探しであれば、このサイトは良いスタート地点だと管理人は自負しております。

読者の皆様の上に神の大いなる愛が注がれますように。

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