聖書入門-キリストを受け入れ人生が変わる

キリストは再臨します。神の裁きの前に信じましょう。

聖書入門-キリストを受け入れ人生が変わる

キリストを信じられる理論的な10の理由

流れ星とキリストを信じる
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神が創造した完璧な自然

信じる事が苦手な私が、なぜ神とキリストを心から信じられるか、10の理由を挙げて説明します。キリストを信じられる理論的な10の理由です。盲目的に神とキリストを信じている訳ではありません。キリストを信じる無神論者がいるそうですが、私は本気で神の存在を信じ、キリストを心から信じています。目に見えない神を信じることなど不可能、キリストの奇跡も不可能とお考えの読者にもわかるように説明します。

1.聖書の教え、キリストの教えは一番理に適っている

目に見えない神とイエス・キリストをなぜ信じられるのでしょうか。私は盲目的にキリストを信じるようになったのではありません。「他のみんながやっている」からでもなく、またカルト的な強い勧誘によってキリストを信じるようになったのではありません。(「宗教に入る」という表現にイヤな感じを覚えます。はまっているような印象を受けます。私は宗教に入ったのではなく、ただ単にキリストを心から信じているだけです。)

むしろ、聖書の教え、キリストの教えは一番理に適っていると思うからです。一番理論的に、わかりやすくこの世の中を説明しており、人間の存在理由・意義を説明していると思います。私たちは現実社会を見て「世の中って・・・だな」と概念をもちます。それちょうど広げた手の間に指と指のあいだにスペースがあるように、何かが見えない、説明できない部分があります。イエス・キリストの教えは、その説明できない部分を説明していると思えるからです。

2.すべての自然・宇宙は神によって創造された

私たちの身の回りにあるもの、すべてには目的がありませんか。人間が造り出したもの、すべてに目的があるように、私たちの周りの自然、宇宙にも目的があると考えるのはおかしいでしょうか。もし自然に存在するすべてのものに目的があるとすれば、その目的を創り出したデザイナー、あるいは創造者がいると考えるのはおかしいでしょうか。

すべて宇宙、自然がバランスよく置かれています。地球が10mでも太陽に近くにあったら、私たちが楽しめる四季などないでしょう。おそらく自然界の命は半数は熱病で滅亡しているのではないでしょうか。もし逆に10m太陽から遠く位置していたらどうでしょうか。

宇宙、自然が完全な形でバランスよく置かれているー不思議なことですが、このバランスによって動植物や私たち人間が生かされているのです。これこそ創造主なる神のわざだと私は信じています。

3.人間は神によって創造され愛されている

これらの大自然の中で人間は、他の動植物とは区別されて創造されたのです。自然界の中で人間は調和をとり他の動植物を支配、管理するように神に命じられています。しかし、支配・管理といっても人間が「自然界の独裁者」なる」ような意味ではありません。むしろ人間は自然の中で生かされ、創造主の神の栄光を現すために存在していると私は思います。

神に似せられて創造されていますから、私たちは神と同じように考える思考力と理性、感じる力である感情と感性、何か新しいものを創造する創造力をもっているのです。ハチはハチの巣を造るのが得意です。おそらく人間よりもうまく造るでしょう。それが専門だからですが、しかしハチの巣しか造れないのです。一方人間は、何か新しいものを創り出すことができます。

4.人類始まって以来の世界の混迷と人間の罪

しかし、現実の世界と人類の歴史は混迷の連続といっても過言ではないでしょう。人間の知識革命と科学革命は、止まるところを知りません。医学の発達と人間の体に関する新しい発見には目を見張るものがあります。しかし、一方で人間社会の多くの問題に解決の糸口どころか、混迷はもっと深くなっているように思えます。科学がいくら発展しても、それは人間がもたらす悪の解決にならないのです。「人間がもたらす悪」は人間の罪であると聖書は教えています。人間の罪を私たち人間の力で取り除くことは出来ないでしょう。神ご自身が、人間社会に介入しない限り人間の悪の根本的な解決はないのです。この説明が、一番理に適っていると私には思えます。

動植物は子孫繁栄という本能のままに生きています。満腹のライオンは鹿がそばを通っても寝るだけです。気にもかけません。人間だけが娯楽や自己満足のために他の人間を痛めつけたり、他の動物を狩りに行ったりします。これも人間だけがなせる業ではないでしょうか。

5.すべての人間の心の叫び

この混迷の世の中でも、人間は人生を謳歌することは出来ますが、同時に多くの苦しみを経験します。そして多くのことについて悩みます。人間は、お互いを苦しめ合う矛盾した存在として生きるようになってしまったのです。その例を挙げてみましょう。

  1. 自分勝手な人間は嫌いだが、自分自身が自分勝手に生きている。
  2. 自分の正義を求めますが、実際は正義に反することを行っている。
  3. 自己中心的に自分を愛しているが、そんな自己中心的な自分を嫌っている。
  4. 何が正しい事か知っているが、それを行うず悪を行う。
  5. 善を行うこともあるが、同時に悪と認識しながら悪を行うことがある。

このような矛盾した社会の中で、人間は哲学的に生きる意味について考えたり、また人間が造り出した宗教に真理を求めようとします。すべての人間には心の叫びがあります。真理を求める叫びです。しかし、真実の神に心の叫びを向けず、間違った神々や霊の世界に向けているのです。

6.すべての人間が病気、心の癒しが必要

すべての人間は霊的に病気です。この世は悪魔であるサタンが支配しています。悪魔は、真実の神から人間を離れさせ、他の物に救いを求めさせています。また人間社会を分断させお互いを疑い、お互いを敵対する関係を作ろうと様々な方法で人間をだましています。このような世の中で生きている私たち人間は、霊的な病気にかかっているのです。キリストは次のように言っています。

「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」(マルコの福音書2章17節)

人間社会の矛盾は悪魔の業です。しかし、人間は自分の力でこの病を治すことは出来ません。社会の問題を解決することは出来ないのです。この聖書の教えが、私には一番理に適っていると思います。

7.神であるイエス・キリストの存在

イエス・キリストは、神と人間の仲介者として生まれました。この方は、天において三位一体の神であった方です。キリストは、父なる神のみこころを人間に教えるために天から降ってきたのです。同時に、キリストは、父なる神に対して人間を弁護するために、私たちと同じように血肉をもった人と成られたのです。究極的に、この方は私たちの罪の贖いとして、私たちの代わりに十字架で死なれました。キリストは、死からよみがえり復活して、現在、天において天地万物を支配しておられます。

「死からの復活ですか?」というお聞きなる方がいるかと思います。しかし、聖書は「死は最後の敵」であるという説明に、私は納得がいくのです。死はすべての終わりではないという証明でもあります。

8.天地万物に終わりがある

すべてのものに始まりがあるように終わりもあります。非常に頑丈な車でも10年、20年と運転していれば傷んできます。いずれ廃車にしなければなりません。私たちが生きている宇宙にも同じことが言えるのではないでしょうか。長い長い期間、燃え続けている太陽でさえ終わりがあります。私たちの命にも終わりがあります。聖書は次のように述べています。

愛する人たち、このことだけは忘れないでほしい。主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。主の日は盗人のようにやって来ます。その日、天は激しい音をたてながら消えうせ、自然界の諸要素は熱に熔け尽くし、地とそこで造り出されたものは暴かれてしまいます。このように、すべてのものは滅び去るのですから、あなたがたは聖なる信心深い生活を送らなければなりません。神の日の来るのを待ち望み、また、それが来るのを早めるようにすべきです。その日、天は焼け崩れ、自然界の諸要素は燃え尽き、熔け去ることでしょう。しかしわたしたちは、義の宿る新しい天と新しい地とを、神の約束に従って待ち望んでいるのです。(2ペテロ3章8節ー13節)

9.キリストの教え、真理が私を自由にしたから

私は自己嫌悪と自己中心の狭間で生きていました。この罪の呪縛からキリストは奇跡的に解放してくださったからです。これは体験してみないとわからないことです。1-8までの理由は、理論的な理由ですが、9-10は自分の体験から来る理由です。

10.キリストの愛を体験しているから・・・。

キリストを信じて体験したのか、信じた前に体験したのか、どちらでしょうか。わかりません。キリストの愛は言葉で説明しがい大きなものであることは確かだと思います。

読者の皆様は、どのようにお考えでしょうか。神が教える信仰とは、「誰々~先生が言ったから信じている」というようなものではありません。キリストのことばを聞いて信仰は生まれます。人はそれぞれ自分の信仰に(クリスチャンであってもなくても)責任を持つべきでしょう。

キリスト教に対する反論もあります。>キリスト教というカルト信者になれない、これだけの理由

今日も、読者の皆様の上に神の豊かな愛が注がれますように。

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時刻になったので、イエスは食事の席に着かれたが、使徒たちも一緒だった。イエスは言われた。「苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと、わたしは切に願っていた。言っておくが、神の国で過越が成し遂げられるまで、わたしは決してこの過越の食事をとることはない。」そして、イエスは杯を取り上げ、感謝の祈りを唱えてから言われた。「これを取り、互いに回して飲みなさい。言っておくが、神の国が来るまで、わたしは今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい。」

それから、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。」

食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。しかし、見よ、わたしを裏切る者が、わたしと一緒に手を食卓に置いている。人の子は、定められたとおり去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。」そこで使徒たちは、自分たちのうち、いったいだれが、そんなことをしようとしているのかと互いに議論をし始めた(ルカ22章14節ー23節)。