占いを信じますか?

占い
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一部の人たちの間では占いが、静かに大ブレイクしているようです。新聞、テレビ、インターネット、雑誌では、必ずと言っていいほど占いコーナーがあります。占いについて「当たるも八卦、当たらぬも八卦」と昔の人は言いました。現代人は?と考えてみますと、少なからず信じている人は多いようです。(注:「現代日本社会における占い」をテーマに論文を書いた人がいます。占いの実態を研究している方がいます。社会学の一部として研究されているようです。本も出版されています。)


さてあなたはどうでしょうか。上記の著書によると、占いに訪れる人たちは周囲の人に言えないような何らかの悩み事をもっていて、カウンセリング的なアドバイスを求めているというのです。当たるか当たらないかも大事かもしれませんが、占いを受ける方は、適切なアドバイスを求めているようです。(注:当たっているか、当たっていないかは、非常にあいまいであることも著者は指摘しています。だから、当たるも八卦、当たらぬも八卦と言われるのかもしれません。)


生まれた月日によって自分の人生が決められていると思うと、人は運命的なものを感じます。しかし、私にとって不思議なのは、同じ年に生まれた人たち、年月日に生まれた人たちがすべて似たような人生を歩まないことです。 また、名前によって人生が変わるといいますが、これも私には解せません。なぜなら、(統計をとったわけではありませんが)同姓同名の人が、同じような人生を歩んでいるとは到底思えません。自分の人生が名前の字画数によって左右されているとすれば、人間の人生とは何と悲しいかなと思えてきます。字画を一画、増やすか減らすかで人の人生が変わると考え、それを大まじめに信じること自体、逆に怖くなってきませんか。それを商売にして金儲けしている人もいれば、それによって右往左往する人もいます。人生の悲哀を感じてしまうのは私だけでしょうか。


人間の能力や知能を超えた方がいると信じるのならば、私たちに自由意志を与えている、私たちを創造して下さった本当の神を信じたらどうでしょうか。占いは、人間を呪縛という鎖で縛り付けます。しかし、本当の神は私たち人間をこのような呪縛から解きはなち、真の自由を与えてくれます。

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時刻になったので、イエスは食事の席に着かれたが、使徒たちも一緒だった。イエスは言われた。「苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと、わたしは切に願っていた。言っておくが、神の国で過越が成し遂げられるまで、わたしは決してこの過越の食事をとることはない。」そして、イエスは杯を取り上げ、感謝の祈りを唱えてから言われた。「これを取り、互いに回して飲みなさい。言っておくが、神の国が来るまで、わたしは今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい。」

それから、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。」

食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。しかし、見よ、わたしを裏切る者が、わたしと一緒に手を食卓に置いている。人の子は、定められたとおり去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。」そこで使徒たちは、自分たちのうち、いったいだれが、そんなことをしようとしているのかと互いに議論をし始めた(ルカ22章14節ー23節)。