人生に役立つ正しい聖書の読み方

効果的な聖書の読み方
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聖書は、非常に誤解されやすい書です。聖書を正しく解釈するための正しい読み方があります。人生に役立つ正しい聖書の読み方を紹介します。効果的な読み方です。まず文脈に沿った正しい読み方を解説します。後半に人生に役立つ読み方を紹介します。

文脈に沿った正しい聖書の読み方

聖書は、数千年の長い年月をかけて違った人々によって書かれた多くの書(旧約聖書39、新約聖書27)を一つにまとめたものです。旧約聖書の原文はヘブル語で書かれており、新約聖書はギリシャ語で書かれています。聖書を専門的に学びたい方、たとえば牧師になりたい方は、聖書学科がある大学や神学校へ進学したりします。

しかし、聖書の基本的なメッセージを理解するのにそのような専門的な学びは必要ないと、私は考えています。ここでは聖書を読む時の一般的な注意点として3つの原則を紹介します。

一般常識から理解できる聖書の歴史的背景と文化的背景

考古学の分野で発見された文献などを解読する場合、それが書かれた時の歴史的背景と文化的背景を理解する必要があります。聖書は数千年前に書かれた文献ですから、聖書を理解する場合も同様です。学者のような専門知識は必要ありませんが、ある程度の初歩的な知識が必要です。世界史を高校でとった方には比較的わかりやすいかもしれません。

しかし、ある程度、前後関係の文脈からその当時の文化を読み取ることも出来ます。たとえば、聖書が書かれた当時の人たちの主食はパンでした。そのパンにまつわるたとえ話をキリストがしています。パンのたとえは、聞いていた人たちにとって、身近に感じわかりやすかったでしょう。

また農業に関するたとえ話もキリストはしています。その理由は、当時、農業は誰でも(国の王でさえ農業をやっていました)家庭でやっていたことだからです。当時の人の誰が聞いてもわかりやすかったのです。これらのキリストのたとえ話は、特別な歴史的文化的な背景を知らずに理解できるのです。

また旧約聖書においては、常識的な範囲内で古代メソポタミア文明が背景にあると理解しておけばいいと思います。特に歴史書は物語として読んでも、(たとえ信仰がなくても)非常に楽しめるものです。特別な知識がなくも理解できるものです。

次のページを参考に。

一般常識から理解できる聖書が書かれた文学的な手法

聖書は旧約聖書と新約聖書に分かれています。旧約聖書には歴史的な書、詩歌、知恵文学、預言書があります。新約聖書には、キリストが生まれてから十字架上で死んで死から復活したまでを書き記した福音書、初代教会の歴史が記録されている使徒行伝、諸教会に宛てられた手紙が含まれています。

一般的な文献を読む時、文献の種類によって読み方を変えませんか。通り一遍の同じ読み方はしないでしょう。まったく同じ原則が聖書の場合でも当てはまります。旧約聖書の詩編や哀歌であれば普通の詩を読むように、著者の感情や信仰を理解しましょう。旧約聖書には神の民の歴史が書かれています。普通の歴史書を読むように、その史実を素直に受け入れることが必要だと私は思います。

また新約聖書の手紙であれば普通の手紙を読むように、誰が書いて誰に宛てられて書かれたのか、どんな意図で書かれたのか理解することが、正しい解釈のための重要な一歩になってきます。

新約聖書には、たとえで話されている言葉があります。キリストは、「わたしは羊の門である」と言っていますが、もちろん物理的な門を差しているのではありません。キリストはたとえ話・物語で真理を説明しています。それに応じて解釈しましょう。同時に字句通りに解釈すべき教えも多くあります。比喩なのか、文字通り理解すべきなのかは、常識の範囲内で判断できると思います。

一般常識から理解できる前後関係と文脈

自分が読んでいる聖書の箇所が長くても短くても、それぞれの文献には文脈があります。たとえば、新約聖書の手紙であれば、理解しようとしている聖句の前後関係を読みとる必要があります。また手紙全体の文脈を考慮に入れて、手紙の各章を読むべきです。

旧約聖書の歴史書であれば、歴史上の出来事の前後関係を考慮にいれて読むべきです。なぜ、どのようにその出来事が起きたのかなどの疑問は、その書全体の文脈からも読むべきだと思います。

最後に一言・・・・・。聖書は創造主なる神のことばです。この書には、人種や文化を問わず、私たちすべての人間に語りかけている真理があります。聖書解釈のもっとも大切な目的は、神は私たちに何を語っているのかという事です。信仰をもっていない人、クリスチャンではない人にとっても、普遍の真理は語られています。心に感じる所は必ずあると私はあると思います。

聖書を漠然と読んでいてもあまり意味がないかもしれません。読むのが苦痛になってしまう人も中にはいるのです。効果的で人生に役立つ聖書の読み方があります。その5つのステップを紹介しましょう。

人生に役立つ効果的な聖書の読み方

  • 最初の2つは、「聖書の意味を考える」項目です。その内、最初の1つは、聖書の言葉通りに意味を考えます。2番目は、聖書の意味を自分に当てはめて考えます。
  • 残りの3つは「自分自身を変える」項目です。

この聖句の意味は何だろうか

聖書を読んだ後、まず最初に「この聖句の文字通りの意味は何か」を考えます。どんな事、内容が語られているのか、また具体的な教えはあるのかを考えながら読みます。たとえば、新約聖書で書かれているキリストのたとえ話を例にとってみましょう。何がどのように例えられ、その重要なポイントは何かを考えます。

徴税人や罪人が皆、話を聞こうとしてイエスに近寄って来た。 すると、ファリサイ派の人々や律法学者たちは、「この人は罪人たちを迎えて、食事まで一緒にしている」と不平を言いだした。 そこで、イエスは次のたとえを話された。 「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。 そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、 家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう。 言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。」 (ルカ15章1節ー7節)

羊は何にたとえられているのでしょうか。キリストはなぜこのたとえを話したのでしょうか。何を聞いている人たちに伝えたかったのでしょうか。悔い改めるとはどんな意味でしょうか。罪人とはどんな人間でしょうか。素直に読んでいけば、これらの質問の答えは、神によって自然と与えられると思います。羊は人間に例えられています。キリストは、ユダヤ人教師たちを諭すためにこの例え話をしたのでしょう。悔い改めるとは、神の方に方向転換することです。罪人とはすべての人間を指しています。

この聖句は、自分にとってどんな意味があるだろうか

次に、読んだ聖句が自分にとってどんな意味かを考えます。自分に当てはめて考えるわけです。上記のたとえ話の中に自分自身を見出してみましょう。たとえば、羊を自分自身に当てはめて考えてみるのです。自分自身が悔い改めるとしたら、どんなことをするだろうか。自分は罪人だろうか?などと、自問自答してみましょう。

次の3つのステップでは、実践的な小さい自分革命を起こします。自分自身を変えることを念頭に読みます。箴言16章1節ー3節を例として読みます。この聖句を例にして、聖書を読む時の自分を変えるプロセスを説明します。

 人間は心構えをする。主が舌に答えるべきことを与えてくださる。人間の道は自分の目に清く見えるが主はその精神を調べられる。あなたの業を主にゆだねれば計らうことは固く立つ。(箴言16章1節ー3節)

心を変える

最初に問いかけは、どこに心が向いているかということです。不信仰から信仰へ変えるのです。神を信頼していないと、自分勝手に考えて物事を進めてしまいがちです。しかし、この聖句が教えるように、神は人間を見ているのです。すべてを支配している方です。だから、私たちは、神に委ねて祈って、物事の計画を立てるのです。神への信頼がなければ、どんなプロジェクトも長続きはしません。

考え方を変える

次に考え方は変えます。この世には大きく分けて2種類の人間がいます。失敗を恐れている人、自己嫌悪や劣等感、自己否定に悩んでいる人です。もう一つの種類の人は、「自分は多くの場合正しい」と思い込んでいる人です。どちらも不健全です。劣等感に悩んでいる人は、「神に委ねてトライすれば自分にも出来る!」と考えるきっかけをこの聖句は作ってくれます。またプライド高き人は、逆に心からへりくだる必要性をこの聖句に見出すことが出来るでしょう。自分は清いと思っている人ほど、実は隠れたプライドをもち心は傲慢であるのです。この聖句は、健全なセルフイメージを保たせてくれると思います。

行動・言動を変える

最後のステップは、実践、行動に移すことです。実践をしない事には聖書の言葉も空事にすぎなくなってしまいます。事実、キリストは次のように言っています。

「そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。岩を土台としていたからである。わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いかかると、倒れて、その倒れ方がひどかった。」(マタイ7章24節ー27節)

人生は毎日が嵐のような感じはしませんか。毎日が訓練の場ではないでしょうか。実践してはじめて精神的に霊的に成長するのです。神のことばを人生に役立てて生きていけるのです。

最後に自分を変える動機について考えてみます。非常に重要なので、最後まで読んでください。

変えようと思う動機

人間の自己イメージは、普通、何をどれ程うまくこなしたかによって決まってきます。自分が幸福かどうかもパーフォーマンスによって決まってくるのです。勉強でもスポーツでも会社の仕事でも、世の中はこの仕組みで動いているように思われます。学校でも会社でも成績が褒められます。褒められますから自己イメージもアップするのです。だからもっと頑張ろうとするわけです。人間社会はこのような動機で動いています。

しかし、聖書の教えの原則は、まさにこの逆のように私には思えます。

何を成し遂げる前から、あなたと私は、すでに神から愛されているのです。神の祝福を受けているのです。だから私たちが何かを成し遂げたいと思う時、自己イメージを高めるためにする必要はありません。(劣等感からの脱出も参考に。)

神の祝福を受けたいから聖書の教えに従うわけではありません。むしろその逆です。神の愛、知恵を受けたから、神に応え神の教えに従うのです。聖書の言葉を人生に役立てるためには、その教えを生活の場に生かしていく必要があります。

聖書の言葉をいくら暗記しても実践しなければ、無意味だと私は思います。キリストの上記の言葉を思い出して、キリストの言葉を聞いて実践して成長していきましょう。これが健全的な良いサイクルです。

次のページも参考に。

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