罪は人生の厄介物

困惑
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罪という厄介物

人間は自分の欲望に操られて苦しむことがあります。この状態をキリストは罪の奴隷と表現しています。

イエスは、御自分を信じたユダヤ人たちに言われた。「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。 あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」 ・・・「はっきり言っておく。罪を犯す者はだれでも罪の奴隷である。(ヨハネ8章31節ー34節 )

実は、人間の罪は心の中にある欲望から始まっているのです。自分の心の欲望にかられて女性にわいせつな行為をしたりする。時々、警察官や政府の官僚、あるいは国家議員がスキャンダラスなことをやったというニュースを聞きます。でもこれは氷山の一角にすぎません。

自分の心をよく見つめてみましょう。ドロドロした感情、思いはないでしょうか。他の人に対する悪意はないでしょうか。そのような思いをもっていることに対して葛藤はないでしょうか。正しいことを行いと思っても出来ないことがあります。わかっていてもついつい悪いことをやってしまう、思ってしまうーそのようなネガティブな感情や行動は人間を苦しめます。この苦しみを次の聖句が語っています。

わたしは、自分のしていることが分かりません。自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることをするからです。もし、望まないことを行っているとすれば、律法を善いものとして認めているわけになります。そして、そういうことを行っているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。わたしは、自分の内には、つまりわたしの肉には、善が住んでいないことを知っています。善をなそうという意志はありますが、それを実行できないからです。わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている。 もし、わたしが望まないことをしているとすれば、それをしているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。

政治の世界ではいろいろな厄介物があります。尖閣諸島の問題や沖縄の普天間基地、原発の問題など処理しようにも処理できないことですね。実は人間が抱えている一番の厄介物は自分自身の罪なのです。人間の性(さが)ともいえます。人間は自分の2本の足で立ち自立して生きていきます。自分自身で切り開いていかなければならない道が、学校であれ会社であれ、あります。何らかのかたちで自分自身を出していかないと前には進めません。宿題を他の人、たとえば親にやってもらうわけにはいきません。そこでどうしても自我がでてきます。自己中心の考え、思いが生まれてきます。さらにはこの自己中心が原因で他の人とぶつかったりするのです。本当の所、誰も争いなど求めていませんが、お互いが自己中心ですから行き着くところは衝突です。個々の人間の衝突も国同士の衝突も何ら本質においては変わりはないです。

ところがほとんどの人はこの自己中心という病に気づきません。気づきたくはないのです。気づいた所でどうすることも出来ないので忘れます。自己中心を認め否定することは自我を捨てること、自分自身の人生、存在、過去を否定することにつながります。そんなこと、したくもないし考えても結論なんかでないから、翌日にはいつもどおり自己中心で生きるのです。あまり表立って自己中心を出すと嫌われますから、嫌われない程度に小出しにするのです。これが人間社会の縮図でしょうか。

この厄介物を取り除くにはどうしたらいいのか、人間には出来ないようです。この世から自分自身が消えてなくならない限り問題は消えません。私たちの心にづっと住み続けるのですが、、、、

私には、引きこもりの息子さん(32歳)をもった友人がいます。家ではテレビゲームばかりやっているそうです。私の友人も親として何をやってあげたら良いかわからないそうです。高度成長時代のつけが、引きこもりのような形で出てきた、とある評論家たちは説明しています。

しかし、私は高度成長が根本的な原因ではないと思います。かぜの病気でたとえれば、引きこもり、青少年による凶悪犯罪、フリーター、ホームレスは、咳、のどの痛み、高熱、頭痛のような症状です。かぜの根本的な原因はウイルスです。このウイルスを完全に退治しない限りは病気は続きます。社会の病気のウイルスは、人間の自己中心的な考えです。人は、いつからか「自分だけよければ他人はどうなってもいいんだ」と自分中心の考えに走り、自我の確立が一番大切なものになりました。受験戦争は、幼い子供が最初に経験する「自己中心ウイルス」です。これは感染症ウイルスですから、周囲にいる子供たちは、全員感染します。子供はたちはお互いに思いやることもなくなり、他人を人格ある人間として扱わなくなります。実は、このウイルスを持ち続けている人々が、現在、社会の中枢を担って、しかも10代、20代の子供を育てているのです。当然、この「自己中心ウイルス」は、親から子供へと感染していきます。ところが、困ったことに親も子供も「自己中心ウイルス」に感染しているという自覚がないのです。

少しでも自覚がある人たちは、そのような競争社会からの逃避を決めて、ある人はフリーターになり自由気ままな生活を親元を離れず暮らすようになったのではないでしょうか。しかし、これらの人たちは「自己中心ウイルス」を除去したのではなく、むしろこのウイルスの影響をさらに受け、もっと自己中心的になってしまったようです。また、ある人はこのような社会に嫌気がさして、社会との接点を絶ってしまったのです。これが人間嫌いを極めた引きこもりです。

私たちは罪という厄介物を取り除きたい、罪の奴隷状態から抜け出したいのですが、自分の力や努力ではできません。イエス・キリストの教えに聞くのが一番の早道だと私は思います。

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