飼い主と人間

飼い主と人間
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聖書は、人間を羊、イエス・キリストを羊飼いに例えています。視点を変えて人間を犬に例えればどうでしょうか。犬の表情をよく観察すると犬にも性格があるんだなと分かります。勝手気ままに動きまわりわがままに振舞う犬もいれば、非常に従順な穏やかな犬もいます。飼い主がいる犬と飼い主がいない犬とでは、また表情や動作が違うのにも気づかされます。

飼い主がいる犬は、どこかに安心感を持っているように感じさせます。つまり、自分の居所を知っているというわけです。ところが飼い主がいない犬、俗にいう野良犬は(たくましい犬もいますが、)どこか寂しげです。どこへ行くでもなく目的もなく、食べ物を与える人には誰にでもなつく姿があります。何を考え歩いているのだろうか、と思わず犬の言葉が判れば聞いてみたいと思わせます。
飼い主と犬
人間にも同じ事が言えるのではないでしょうか。人間の飼い主は、創造主なる神です。私たちを創造して下さった方ですから、私たちにとって良いこと、悪いことを知っているのです。ところが私たち、人間は飼い主から離れて野良犬のようになってしまったのです。飼い主なる神は、離れてしまった人間を捜し求めています。「帰って来い」と言っているのです。

人間の人生は当てどのない旅に思えることがあります。目的、目標もなく生きがいもない人生を送っている人がいます。天涯孤独の人生を送っている人がいます。世の中の周りの人から見捨てられた人たちがいるのです。そんな人に神は「疲れているだろう。あなたの重荷を降ろして、わたしのもとに来なさい。今までの生き方を忘れなさい。また一から出直そう。わたしが助けてあげる。あなたの人生は、わたしにとって大切な命。わたしはあなたを愛している。肩の力を抜いてわたしのもとに来なさい。わたしから学びなさい」と言っています。

わたしたちは、この神のことばにどう答えるのでしょうか。自分の考えや生き方を主張して、Going My Way で行くのでしょうか。それとも生き方をリセットして、神に助けていただくのでしょうか。 キリストの言葉を聞いてみましょう。

イエスは再び言われた。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」(ヨハネ8章12節)

イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。(ヨハネ14章6節)

そして、「聞く耳のある者は聞きなさい」と言われた。(マルコ4章9節)

これらの言葉を聞いてよく考え、たとえ信じていなくても神に祈ってみましょう。光明が心に差し込んでくるでしょう。

読者の皆様の上に、キリストの愛がそそがれますように、心よりお祈り申し上げます。

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時刻になったので、イエスは食事の席に着かれたが、使徒たちも一緒だった。イエスは言われた。「苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと、わたしは切に願っていた。言っておくが、神の国で過越が成し遂げられるまで、わたしは決してこの過越の食事をとることはない。」そして、イエスは杯を取り上げ、感謝の祈りを唱えてから言われた。「これを取り、互いに回して飲みなさい。言っておくが、神の国が来るまで、わたしは今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい。」

それから、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。」

食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。しかし、見よ、わたしを裏切る者が、わたしと一緒に手を食卓に置いている。人の子は、定められたとおり去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。」そこで使徒たちは、自分たちのうち、いったいだれが、そんなことをしようとしているのかと互いに議論をし始めた(ルカ22章14節ー23節)。