復讐、報復は人間の権利か

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復讐、報復は人間の権利でしょうか。やられたらやり返すは、当然の権利のように言われることがありますが、真理をついているでしょうか。聖書は、人間が復讐することについて教えています。なぜ復讐は、神の御心に沿っていないのかをわかりやすく説明します。

日本には古くから「あだ討ち」という言葉があるように、報復や復讐は、正当な権利でもあるかのように考えられています。しかし、これは日本に限らず世界一般の常識かもしれません。だから、国家間の争いはいつまでたっても終わりが見えないのでしょう。またちょっと前のテレビドラマで「倍返し」という表現が流行ったように、「やられたらやり返す」のが当たり前の世の中です。


倍返しは人間の権利?

最近では後続の車にあおられて、運転者同士が喧嘩になった話もよく聞きます。電車内であるいはホームで些細なことで喧嘩になったという話は、日常のことのように起きています。キリストは、私たち人間の世界観とはまったく逆のことを言っています。

 「あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と命じられている。 しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。 あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい。 だれかが、一ミリオン行くように強いるなら、一緒に二ミリオン行きなさい。 求める者には与えなさい。あなたから借りようとする者に、背を向けてはならない。」(マタイ5章38節ー42節)

誤解されている聖書の名言も参考に。

「目には目を、歯には歯を」は旧約聖書からの引用ですが、1世紀のユダヤ人は報復、復讐を容認していると解釈していました。一般の現代人は、(この言葉が旧約聖書からの引用だとは知らずに)同様の解釈をしています。しかし、事実はまったく逆なのです。罪を犯した者に対する警告の言葉です。つまり、罪を犯した人が相手を殴って目を失明させたとしたら、神は加害者の目も同じように失わせるという警告です。人間が行う復讐ではありません。ゆえに、人間が復讐をしてはいけないのです。


犯罪被害者の思い

しかし、犯罪被害者の思いを考えると、そう簡単に言えそうもないようにも思えます。自分の息子や娘が殺されてしまったという親御さんたちにとっては、どうにもならない気持ではないでしょうか。ですから、被害者の方々が「極刑を望みます」というのも、その心情を思えば理解できます。

同時に、他の人に対してそれだけ嫌悪的な感情ちを持つのもつらいものです。人をゆるせないという事は、自分自身をゆるせないことにつながるからだと私は思います。


読者の皆様には、「あなたはそんな辛い経験をしたことがないから、そんな立派なことがいえるんだよ」と感じる方もいるかもしれません。私自身、私の家族が凶悪犯罪に巻き込まれたことはありません。だから、犯罪被害者の方々のお気持ちを、私は理解できると言ったら、それは私の高慢です。しかし、私は、24歳のころ自分の母親を交通事故で亡くしています。彼女は、青信号で横断歩道を渡っていましたが、大型トラックの右折に巻き込まれて即死しました。彼女に非はまったくありませんでした。運転者の不注意でした。その時、大きな損害賠償を求める事も出来ましたが、私たちは敢えてしませんでした。私たちが罪ある世の中で生きている限り、このような事は起きるものだから・・・。

あの時、買物を母親に頼んでいなかったら、、、、と自分を責めていました。自責の念をもっても仕方ないです。私たちが生きている人間社会、世の中では、そのような不幸は常に起こるのですから。


復讐・報復ではない、人間が求めるべきもの

復讐や報復の思いは、自分の心をむしばんでいきます。そのようなネガティブな感情がある限り、心に平安は訪れません。人間が考える正義の観点からは、受け入れがたい教えかもしれませんが、悪を行った人に対して赦すこと、それが心の平安につながると私は思います。他の人を赦し自分も赦すことです。

神を心から信じる信仰によってなせるわざです。ある人が「人にはそれぞれ正義がある」と言っていましたが、そのそれぞれの正義は自分勝手な自己中心的な正義でしかありません。だから人間は対立するのです。正義は、自分の立場からいえる正義でしかありません。今まで、個人的な正義の観点から話してきましたが、国対国の正義はどうでしょうか。正義は勝つも参考に。

世界各地の紛争、内戦、戦争も、実は人間の正義を主張することから始まっているのではないでしょうか。自分の正義を主張している限り内戦は終わりません。報復が報復を生みます。復讐が復讐を生みます。まさに連鎖反応の報復の応酬です。


本当の正義は、創造主なる神のみにあるのです。創造主なる神を信じることにより、本当の正義を理解できるようになります。キリストは次のように言っています。

義に飢え渇く人々は、幸いである。その人たちは満たされる。(マタイ5章6節)

何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えら与えられる。だから、明日のこともまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、そのだけで充分である。(マタイ6章33節ー34節)

上記のことばを心にとめて日々過ごせますように。神の豊かな愛が読者の皆様の上に注がれますように。

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