本物の友人になるために

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子供の頃は簡単に親友が出来たのに、大人になったら本当に信頼できる友達を作りにくくなったという経験はないでしょうか。なぜでしょうか。大人になると、なぜ心を許し合える友ができにくくなるのでしょうか。次の記事も興味深いです。あなたには本当の「友」がいますか?

人間不信という壁

罪でいっぱいの世の中で、私たちは人間不信に陥りやすいのです。一度や二度「友人に裏切られた」という経験は誰でもあるのではないでしょうか。さらにダマしの手口が、政治経済のあちこちに見受けられます。大人になり、そのような事を見聞したり自分で経験したりして、人間不信に人はなっていくのかもしれません。人間不信の世の中も読んでください。

否定的な自己イメージ

人によって差はありますが、多くの方々が否定的なイメージを持っているようです。敢えてそのような自己否定、自己嫌悪的なことを言うのを人は控えますが、心の奥底で「自分はダメ人間?」と思ってしまいがちです。それとも言うのも、私たちは常に比較されて育ってきているからです。(特に日本の教育では、それが現実かもしれません。)勉強できる子は良い子と評価されます。家庭では兄弟間でも比較され、学校でも他のクラスメート比較され成績がつけられます。このような環境では自己イメージがネガティブになるのもうなずけます。私はダメ人間?健全な自己評価も参考に読んでください。

自分を受け入れてくれるか不安

小中高の時は、「自分と同じように感じている人」が周りにはたくさんいるものです。だから共感もできるし、お互いに悩みを打ち明け合ったりすることもできるのでしょう。しかし、大人になっていくと、一番の親友から遠く分かれて住むことになります。違った職種につき仕事をし始めます。結婚もするでしょう。学生時代とはまったく違った環境に生きることになります。子供の頃は、失敗も許され言い訳ができたのに、失敗は自分の責任として突き付けられ、ネガティブな評価をそのまま受け入れなければならなくなります。

同時に、自分に自信がないから、他の人が自分を受け入れてくれるか不安になります。その結果として、自分をさらけ出すこともをしなくなります。これは負の連鎖を生んでしまいます。本当の自分をお互いに見せいない>心が通い合うことがない>親友と呼べる友達ができない結果になります。

キリストによる修正

キリストは、私たちが本物の友人になるために私たちを修正してくれます。

第一に人間不信の修正です。キリストを知る前は、人間は肩ひじ張って生きがちです。自分の領域をハッキリさせて他人(ここでいう他人とは自分以外の人間を指します。だから家族でも他人)に入り込まれないようにするのです。キリストは、私たちの信仰をみて、まずこの状態を修正してくださいます。人間不信から不安や思い煩いを取り除いてくれるのです。

第二に、キリストは、信仰をもっている人の側にいつもいてくださいます。背中を押してくださり、寄り添って下さり、励まして下さり、力と愛を与えてくれるのです。第一と第二の修正ができると、自分をさらけ出してもいいかなと気が楽になるものです。

第三に、キリストは、人間関係の真ん中にいらっしゃいます。友人関係を持っている人との間にいるのです。仲介をしてくださっているのです。たとえ、相手がクリスチャンではなくてもキリストは、仲介してくださっています。

キリストが私たちの人生に関りをもって介入してくださっている、キリストが愛と知恵を私たちに与えてくださっていると、気づく時に本当の心の友が出来る状態になれると思います。

ちなみに、私は、本当の友は顔と顔を見合わせ語り合い祈り合うことから生まれると信じています。

読者の皆様の上に主キリストの愛が注がれますように。

 

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Copyright © 2019 聖書入門-キリストを受け入れ人生が変わる

時刻になったので、イエスは食事の席に着かれたが、使徒たちも一緒だった。イエスは言われた。「苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと、わたしは切に願っていた。言っておくが、神の国で過越が成し遂げられるまで、わたしは決してこの過越の食事をとることはない。」そして、イエスは杯を取り上げ、感謝の祈りを唱えてから言われた。「これを取り、互いに回して飲みなさい。言っておくが、神の国が来るまで、わたしは今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい。」

それから、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。」

食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。しかし、見よ、わたしを裏切る者が、わたしと一緒に手を食卓に置いている。人の子は、定められたとおり去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。」そこで使徒たちは、自分たちのうち、いったいだれが、そんなことをしようとしているのかと互いに議論をし始めた(ルカ22章14節ー23節)。