信仰という懸け橋

真理を知りすべてが変わる
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若い時、私はいろいろな面で暗中模索していました。風のふくままに流されていく風船のように、どこへいくのかわからない日々が続いていました。読者の皆様にもそのような経験はないでしょうか。今現在、そのように感じていらっしゃるかもしれません。人間は、気分が高揚する時もあれば落ち込む時があります。良い時もあれば悪い時もあると受け流せればいいのですが、時として私たち人間は、不安や思い煩いでつぶされそうになります。この気分の上下動は、常に心が騒いでいる状態は、あまり健康的とは言えません。キリストはそんな私たちに何を語っているのでしょうか。信仰とは?

 「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。」(ヨハネ14・1)

まっすぐ主キリストに目を向けて信じる事、これが成功の人生の第一歩だと、私は信じています。この人生では、いろいろな「お誘い」、「呼びかけ」があります。私たちの興味をそそる娯楽や趣味があらゆる分野であります。しかし、そこから一歩引いて冷静に人生を見つめて、キリストに目を向ける、これが成功の第一歩です。

信仰は神と私たちを結ぶ懸け橋です。神を信じキリストを信じるとは、単にその存在を信じるのではありません。神であるキリストの力、知恵、教え、愛を信じて、生きていくことが信仰の証明とも言えます。宗教一般の信仰の定義

信仰を実践してこそ強固な橋、人生の土台になります。

「そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。岩を土台としていたからである。」(マタイ7:24-25)

キリストが与える命は、いつも希望にあふれ愛にあふれています。読者の皆様もキリストを信じる事により、人生の真理を知り命が与えられます。読者の皆様の上に、神の豊かな祝福が宿りますように。

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時刻になったので、イエスは食事の席に着かれたが、使徒たちも一緒だった。イエスは言われた。「苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと、わたしは切に願っていた。言っておくが、神の国で過越が成し遂げられるまで、わたしは決してこの過越の食事をとることはない。」そして、イエスは杯を取り上げ、感謝の祈りを唱えてから言われた。「これを取り、互いに回して飲みなさい。言っておくが、神の国が来るまで、わたしは今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい。」

それから、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。」

食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。しかし、見よ、わたしを裏切る者が、わたしと一緒に手を食卓に置いている。人の子は、定められたとおり去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。」そこで使徒たちは、自分たちのうち、いったいだれが、そんなことをしようとしているのかと互いに議論をし始めた(ルカ22章14節ー23節)。