信じる自由と信じない自由

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信仰が生まれるきっかけ

クリスチャンになる人には、いくつかのきっかけがあるようです。クリスチャンのお友達に誘われたり、またどこかで頂いた聖書を自分で読み始めたり、またはキリスト教関係の映画を見たりなどが考えられます。しかし、いずれにせよ、聖書を読み始めることによって、信仰が生まれるのは間違いはないと私は思います。[sg_popup id=”6958″ event=”click”]ローマ10章17節をクリック。[/sg_popup]

キリストのことばを、[sg_popup id=”6959″ event=”click”]ここをクリックして聞いてみましょう。[/sg_popup]この様なことばを聞いて、まず信仰の種が植えられ、あなたの心に信仰は生まれるのです。


心から出る信仰

聖書が教える信仰は、心の問題です。人生の考え方や哲学とは違うと思います。人間が作った宗教を信じる信仰とも違うと、私は思います。創造主なる神を信じる霊的なDNAは、すべての人間の心に植え付けられています。そのDNAが心の奥底から出てくるかどうかです。そのDNAが呼び起こされると、「気づき」が起きます。創造主なる神の愛に気付かされるのです。忘れられた故郷を思い出すような感じでしょうか。


キリストのことばは、そのDNAを呼び起こす声だとも例えられます。キリストの呼びかけに対してどのように応えるかが問いかけられています。


私自身、新約聖書が擦り切れるほど何回も聖書を読みました。それだけ、私にはキリストのことばは魅力的であったのです。心のどこかに引っかかっていたのです。私のDNAが呼び起こされた時でもあります。しかし、DNAが呼び起こされたからといって、すぐに信じる事にはなりません。自然界にある木々と同じように、徐々に信仰は育つのです。


今、この記事を読んでいるあなたにも同じことが言えるのではないでしょうか。あなたの心にも信仰は育つのです。


人間の自由意志から生まれる信仰

キリストを信じるも信じないも、人それぞれです。自由があります。キリストは誰をも束縛するような方ではありません。さらにキリストのことば一つ一つに神の愛を私は感じます。励ましを感じます。たとえ私が信じない道を選んだとしても、キリストは私を励まし待っていて下さるーキリストはそのようなお方です。


しかし、キリスト教の実態を見ると必ずしもそうではないようです。一度、教会に行ったら勧誘を何回もされた経験をお持ちの方がいるかもしれません。こちらが断っても何回も訪問して嫌な思いをしたという人もいるでしょう。伝道、宣教に熱心なのは良いと思いますが、人の意思を尊重することも大事かと思います。[sg_popup id=”6960″ event=”click”]ヨハネ6章60節ー69節をクリック。[/sg_popup]


キリストの教えを聞いた人たちの中には、信じた人もいれば信じない人もいたのです。キリストは信じない人たちを追いかけまわしたでしょうか。しつこく勧誘したでしょうか。あるいは「信じなければ・・・」と脅すような言葉を言ったでしょうか。むしろ人々に選ぶ権利を自由を与えたのです。キリストはいつも私たちが信じるのを待っています。


「聞き耳のある者は聞きなさい」と今でも私たちに語りかけて下さっています。

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