なぜ神の愛を感じない?

聖書の名言
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私たち人間は、なぜ神の愛を感じないのでしょうか。神が本当に存在して、日々、愛を人間に注いでいるとすれば、人間はその愛を感じるべきではないでしょうか。人間が神の愛を感じない理由は3つあります。

神の愛は、人間にとって空気みたいなもの

神の愛は、私たちが呼吸している空気に例えられます。空気を吸う時に意識する人はいません。なぜでしょうか。あって当たり前だと思っているから。神の愛も同じ。私たちは、普段の生活の中で神の愛を感じることもないし、意識することもないのです。

人間は、あまりにも自己中心しすぎて、神の愛に気づかない

人間は、一人、携帯画面を見入っているように、自分の小さな世界に入り込んで、結果的に神の愛に気づかないのではないでしょうか。自己中心と言う自分の殻を、打ち破ることが出来ないでいるのです。親のおかげで育ってきたけど、大人になった後は自分の力と知恵で生き抜いていると思っているのです。日々、太陽が昇り恵みの雨があって、私たちが生かされていることに気づいていないのです。

人間の罪とは?

人間は、神との信頼関係を捨てたから、神の愛に気づかない

人間社会においても、愛は信頼関係の中で育みます。信頼関係がなかったら、親子関係においても愛は育ちません。私たち人間は、神との信頼関係を捨ててしまいました。結果は、現代社会、世の中を見れば明らかではないでしょうか。私たちは、混迷の世の中に生きているのです。

キリストは、身をもって神の愛を示した

キリストは、父なる神とともに天にいましたが、血肉をとり人間となられました。そして、自らすすんで神の愛を示すために犠牲の生き方を教えたのです。究極の犠牲が十字架の死です。私たち人間は、聖書の福音書を読む時、心に神の愛を感じることが出来ます。キリストの教えを通して愛を感じ、またキリストが行った癒しのわざに、神の愛を感じることが出来るのです。

読者の皆様にも神の愛が届いています。福音書を読んで神の愛を感じましょう。

他のサイト キリストの犠牲

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時刻になったので、イエスは食事の席に着かれたが、使徒たちも一緒だった。イエスは言われた。「苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと、わたしは切に願っていた。言っておくが、神の国で過越が成し遂げられるまで、わたしは決してこの過越の食事をとることはない。」そして、イエスは杯を取り上げ、感謝の祈りを唱えてから言われた。「これを取り、互いに回して飲みなさい。言っておくが、神の国が来るまで、わたしは今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい。」

それから、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。」

食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。しかし、見よ、わたしを裏切る者が、わたしと一緒に手を食卓に置いている。人の子は、定められたとおり去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。」そこで使徒たちは、自分たちのうち、いったいだれが、そんなことをしようとしているのかと互いに議論をし始めた(ルカ22章14節ー23節)。