ダメ人間と思っていた人の成長の軌跡

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人間の成長に遅すぎることはない。Aさんに会ったのはちょうど10年前。その頃の彼の口癖は「理不尽」。中学、高校で凄まじいいじめにあい、ひどい経験をしていた。彼が高校生の時、常に自殺を考えていたのも頷ける。彼は、よく私に言ったものだ。「自分には幸せになる資格などない」と。不の自己暗示のサイクルにハマってしまった状態だ。完璧に100%ダメ人間だと感じていた人の成長の軌跡を書き記してみる。劣等感に苦しんでいる人の参考、励ましになれば、この上ない幸いである。

クリスチャンになったけど

その当時、私は、彼と毎週のように会って話を聞いていた。毎週、大体同じ話になる。「世の中がどれほど不公平に出来ているか。世の中がどれほど理不尽な事をしているか」を私たちは話し合っていた。大げさではなくて、1日中、話をしていることもあった。毎週一回あって、平均、大体、4~5時間、私たちは話していた。

バプテスマ

そんな彼もクリスチャンになった。主イエス・キリストについて行くと決心はしたけれど、人の習慣はそんなに簡単に変わるものではない。考え方が一夜で変わるものではないし、1日や1か月で言動が変わるわけでもない。相変わらず、「理不尽、理不尽、理不尽」の会話は続いていた。

劣等感がこの人をつぶしていた

約8年間で彼は仕事を5回変えた。自分は何も出来ないという自己暗示が、彼の能力をつぶしていたのだ。健全な謙虚、謙遜ではない。劣等感が彼のすべてを覆いつくしていたと思う。「自分は何もできませんから」が彼の口癖だった。しかし、まじめな気のよい好青年で、誰からも好かれるタイプの人だ。しかし、彼の内面では、いつもモヤモヤしたものが渦巻いていたのだ。

0%か100%でしか物事を見れない典型的なタイプだ。完璧100%でなければ、0%に真っ逆さまに落ちていく。100%なんて誰も出来ないから、彼にはいつも0%しかなかった。

もう一つ、彼が抱えていた問題は、あまりにも強い感性だった。自分が感じることが、絶対的に彼の考え方、言動、すべてを支配していたのだ。彼のこの強い感性は、彼を相当の頑固者にしていた。この鋭い感性によって彼は普通考えられない事を、誰にも相談せずに決めてしまうのだ。早合点して即決してしまったと事例には枚挙にいとまがない。そして、後になって後悔していた。

この頑固さは、理論で打ち負かすことは出来ない。なぜなら、理論的な思考が欠如していたから。年を重ねるにつれて、それが徐々に改善されていったのだが、、、。劣等感からの解放

困惑

彼はクリスチャンになってから、彼をいじめた人たちに対して赦す気持ちを持ち始めていたが、彼の心の傷は癒されていなかったのだ。努力すればするほど、悪くなっていくような・・・。ちょうど、底なし沼に入っているような感じかもしれない。自分の力でもがけばもがくほど、深みにはまっていく。迷路に入っていき、もっとわからなくなっていく。それでも彼はあきらめなかった。普通の人はここで諦めて、「もうどうでもいいや」となるが、彼は違ったのだ。暗中模索のまま努力を続けた。

努力家、一生懸命やる、でも足踏みしてるだけ

彼は努力家だ。何事も一生懸命やる。ただやり方を知らない。要領が悪い。彼の言動を観察していて、「あれ?何でこんなことをこんな時にやるの?」としばしば思ったものだ。よくTimePlaceOccasion TPOと言われるが、この感覚がまったくなかったのだが、それも徐々に芽生えていった。

私も18歳~25歳くらいまで、ボケっとしたトッポイ若者だった。要領が非常に悪くいじめられたこともあった。そんな私の苦労話をよくしたのもこの時だった。これらの私の経験談は彼を励ましたが、彼の考え方や言動を改善するまでは至らなかった。

彼は、仕事を変えて天職と思える介護の仕事を始めた。とにかく一生懸命やった。努力した。努力も実ったように私には見えた。彼が自分にあっている仕事を見つけられて、私は心から喜んでいたのだが、彼の心の中には、自信など石の欠片ほどもなかったのだ。まだ「自分は何も出来ないから」と感じていたのだ。

そんなある日、私は、彼に次のような言葉を言った。

足踏み

Aさん、一生懸命やって努力しているんだけど、僕にはAさんが足踏みしているようにしか見えないんだよ。足踏み、良い運動だけど、前に進まないでしょう。疲れるだけだよね。転んでもいいんだよ。前に半歩でも進んで立ち上がって。前に進むと周りが見えてくるよ。新しい世界が見えてくるよ。

彼は、私の指摘に対して反論することなく素直に認めた。以前から自覚していたようだった。何かをやり遂げている、または進歩しているという自覚がまったくないのだ。だから、疲れるばかり。負けないように頑張っていたが、心底、心が折れそうな時を幾度となく経験していた。

彼は、幼少の時から自分自身の内面を見つめる習慣を持っていた。いじめがひどかった高校の時にこの習慣は頂点に達していたんではないか。その後、改善されたが同じパターンにハマってしまう。何かを考え始めると、1日中考えて堂々巡りを始めてしまう。度が過ぎると、自分の内面に入りすぎて周りが見えなくなってくる。一つのことを思い込み始める。

「ダメだ。自分は何をやってもダメだ。一生一人前にはなれないのではないか。自分は社会不適合者かもししれない」と否定的な独り言を言い始める。これが彼の危険信号だった。このような事も彼は自覚し始めてきた。少し改善しては、また逆戻りの繰り返しだ。この繰り返しを数年間続けたと思う。

そんな時、彼は私にこんなメールを送ってきた。

今の僕は、サナギの殻にヒビが入っている状態だと思います。あとは、サナギを破って出ていくだけだと自覚しています。余計な事に気を散らさず、集中すれば出来るはずだと。

一皮むければ、彼はきっと大成すると私は確信を持ったが、「それがいつ来るんだ。いつ彼は殻を打ち破ってでてくるんだろうか。いつ開き直って、何でも挑戦してやろうと思うようになるのか」と迷っていた。私自身も「彼をどのように助けられるだろうか」という手詰まり感もあったのも事実だ。「殻を打ち破る」という彼からのメールを受け取った2週間後、私は、次のようなメールを送り殻を打ち破ることを促した。

私は、A兄弟をどのように助けられるかを考え祈り続けてきました。正直、私にも手詰まり感があります。・・・そこで、A兄弟をどのように助けられるか、いくつか考えてみました。(1)私が危ういのではないかと思っても、A兄弟には何も言わないで、じっと見守る。失敗をしていても何も言わない。(2)私が学んだ事を伝える。受け入れるか受け入れないのかは、A兄弟の自由。自分が選んだ良い方法で進むことが出来ます。この場合は、完全に自己責任。私が教えた後は、A兄弟が失敗しても何も言わない。(3)A兄弟は、私が学んだ事を実践してみる。この場合は2人3脚です。A兄弟に自己責任もありますが、私もしっかりと教える責任があります。私が教えるのは、本当にスタンダード的なこと。仕事出来る人が、ほとんどやっていることなので、特別な事はありません。 どれがいいですか。学校のクラスであれば、すべての学生に宿題が与えられ、選択の余地がありません。お互いに刺激を受けて頑張れます。しかし、1対1だとお互いに自律心が必要です。 30代の今が、A兄弟の分かれ道だと思います。今まで通り、自分の方法で独学で学び、自分で失敗して学んでいくのか。それだと年をとるだけだと思います。それとも他の人から学ぶのか、岐路に来ていると思います。 私は、開き直り、がむしゃらに、なりふり構わず、他の人たちから、出来る限り学びました。自己嫌悪、劣等感を持っていた私の場合は、それが大きな救いになりました。A兄弟が決めてください。

私の予想は2番だったが、彼は3番を選んだのだ。ここから私たちの2人3脚の歩みが始まったのだ。

管理人と2人3脚の歩み

この歩みは、彼にとっても私にとっても学びの場になると思う。コーチとしてメンターとして、私自身も精進しなければ、彼を助けることはできない。私自身も、コーチング、メンタリングの勉強の毎日だ。

彼にとっては、この2年間は学校と同じだったと思う。毎週、宿題が出されそれをこなしていく。毎週、教師である私と議論を重ね、日々成長していけるように有益な努力をする必要がある。道のりは長いが、決して無駄な努力ではない。すでに多くの豊かな実りを結んでいる。

2人3脚

下に挙げた宿題は、彼のニーズに合わせて私自身が考えたものである。非常に一般的なプログラム?だと思う。

宿題(1)神から与えられた人生、時間を有効に使う

  • 人生は神の贈り物。与えられた日々の時間も神の贈り物。だから、大切に使う。
  • 日々の生活を通して、神の御心に適った人間に造り変えられていく。
  • 神によって与えられているすべての能力を最大限に使う。

宿題(2)計画・目標達成型の人間になる

目標をたてる

  • 短期的目標、1か月から3カ月の目標をたてる。
  • 中期的目標、3カ月から1年の目標をたてる。
  • 長期的目標、1年から3年の目標をたてる。
  • 1カ月ごとに、目標をチェック修正する。

目標のたてる時、次の項目をチェツク

  • 動機は何か。
  • 目標の目的は何か。
  • 具体的な目標か。
  • 人間の成長に役にたつことか。
  • 仕事に役立つことか。

啓発本を3カ月~6か月、1冊読む

彼は目が内側に向きがちなので、なるべく外に目を向けるように必要性がある。啓発本を読むことにより常に彼は刺激を受け、彼が学ぶ心を持ち続けるようにと、この宿題をだした。

宿題(3)システム手帳で日々、月間、年間の予定をたてる

英語の表現に ”stay focused” があるが、日本語には同じニュアンスで表現する言葉ない。「集中する」ともちょっと違うような気がする。ところが、彼にこの英語の表現を言ったら、何かピンとくるものがあったらしい。

彼は、生まれてから手帳を持ったことがなかった。これも初体験。スマホでスケジュール管理をしていたが、それでは仕事の達人にはなれないと私は思う。彼には、システム手帳を持つように勧めた。次の4項目は、最初のクラスの時の宿題。

  • 連絡先を記帳 
  • 連絡事項を書いて日々チェック
  • 日々、月間、年間の予定をたてる
  • 前日に翌日やるべき事リストを作る

「前日に翌日やるべき事リストを作る」は、彼にとっては特に大切な事だった思う。Time is Money というように、時間はお金と同様に大切なもの。このリストをつくると、時間を有効に使う習慣をつくることができる。もっと良い点はがある。彼は、日々のリストをやり遂げることにより、小さな達成感を味わったのだ。小さな自信が彼の心に生まれていった。これは素晴らしい相乗効果だった。

宿題(4)コンピューターを使いこなせるようになる

彼は、このクラスが始まるまで、まったくPCを使ったことがなかった。教会のお古のPCを彼に贈呈。これを使って次の4つを覚えてもらった。

  • ローマ字入力でタイピングを早くできるようにする。
  • ワード文書を作成。
  • エクセル文書を作成。(彼が、将来エクセルを使って仕事をするとは思わなかったが、覚えていても良い能力だと思いやってもらった)
  • インターネット検索。インターネットは百科事典を手元に置いているようなもの。これを使いこなすずに仕事は出来ないだろう。

宿題(5)理論的に考えるためのゲーム 数独とフリーセル

彼は、気持ちが非常に優しい好青年だと思う。教会の誰からも好かれている。非常に感性が鋭く憐れみ深い男性だ。一方で、理論的に考える訓練を、学校でも職場でも今までしたことがなかった。そこで私は2つのゲームをやるように彼に宿題を与えた。

  • 数独:理詰めで考える訓練。
  • フリーセル:目的に向かって先を読み理論的に考える訓練。

このゲームは、彼にとって「目から鱗が落ちる」経験だったようだ。

彼が目覚めた時、起きたこと

彼はもう30歳も半ばの男性だ。しかし、このクラスでの経験は彼にとって初体験ばかりのことだった。彼は、自分がどれほど小さな箱に中に入っていたかを気づいたのだ。自分の能力を値踏みして自らをダメにしていた。人生は一生勉強、気づきの連続だと思う。彼も同じだ。人生の成長の旅路は始まったばかりだ。彼が気づいたことを列挙してみる。

最後の神の裁き

彼の気づき(1)今まで出来なかったことが出来る!

「やれば出来る!」とよく言われるが、出来ないと思っている人には現実味がある言葉ではない。実際にやってみて経験して言える言葉だ。彼は「やれば出来る」を実体験したのだ。彼の心の中に自信らしい自信がはじめて生まれた瞬間だ。

人間は不思議な生き物。一人の人間に、プライドと劣等感が同居する矛盾した存在だ。人間はプライドと劣等感の狭間で生きているのかもしれない。どちらにしても霊的には不健康な状態だ。

クリスチャンになって10年目、彼は健全な自己イメージを持ち始めている。ダメ人間ではなく社会不適合者でなく、神によって創造された人間として生きていくと彼は決心したのだ。最大の敵は自分自身であったこと。「理不尽な世の中」と周りを責めていた彼が、今は見違えるように自分の言動に責任を持てるようになった。

気づき(2)多くの才能、賜物を頂いている

彼は、神によって創造され愛されていると心底信じるようになった。彼は多くの恵みをいただき、多くの能力、賜物を神からいただいていると気づいた。それらの能力や賜物を使わなかったら、それこそ不信仰者と呼ばれてしまう。

以前、彼は自分の可能性にふたをする祈りをよくしていた。たとえば、「自分の分相応を知る知恵を下さい」と祈っていた。失敗したくないから臆病になっていたのだ。

しかし、人の伸びしろは、神だけが知っているのではないか。私は、「君の可能性は無限大だよ。自分で値踏みしてはいけないよ」と今でもよく言っている。自分が発見していない才能や能力が、彼の中にはまだまだ埋もれているのだから。

気づき(3)人生は試行錯誤だから失敗を恐れない

彼は、以前0%か100%主義者だった。「100%やり切れない自分は落伍者」と自らに烙印を押していた。しかし、ある気づきが起きてこれが変わったのだ。

「人生は試行錯誤」という概念をおそらく彼は、ゲームから学んだのでないか。数独でもフリーセルでも、試行錯誤で解決策、答えを見つけていかなければならない。人生も全く同じだ。以前は自分の感性、感覚によって結論を出していたが、彼は今、試行錯誤しながら、理論的に考えて結論を出す能力も身につけた。

彼の結論は、何でもトライしてみように変わっていった。彼を10年関している私にとって、これは180度変化の衝撃の出来事だ。

あの時、彼をあきらめないで良かった。彼も私も、「これは本当に神の恵みである」と心から感謝の祈りを奉げている。