新約聖書の歴史的文化的背景

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イエス・キリストが生きた1世紀の時代は、どんな時代だったのでしょうか。どのような文化があったのでしょうか。

なぜ背景を学ぶ必要があるのか

新約聖書のすべての書は、ある特定の人または教会へ宛てて書かれています。それを私たちは読んで解釈しようとしています。たとえでいえば、ある人が電話をしてその話を聞いているようなものでしょう。電話の向こうの相手を私たちは知りません。聞こえるのは電話をかけている人の声だけです。また電話をかけている人とその相手がどのような関係をもっているかも知りません。実際の会話でも「やめなさい」といってもその口調でどんな意味かまったく違ってきます。送り手と受け手の人間関係や前後関係を知らないとその意味も分からないでしょう。

まったく同じことが、新約聖書を理解するうえで当てはまります。新約聖書が書かれた時の文化、人々の物の考え方、価値観、さらに日常生活の状況などを知れば、著者が何を相手に何を伝えようとしていたのか、もっとはっきり理解できるでしょう。ユダヤ教の背景、異邦人の背景を順に学んでみましょう。

新約聖書を正しく理解するためには、その背景も少しは知っておくと非常に役にたちます。短くざっくりと、新約聖書の背景をまとめてみます。

旧約聖書の最後の啓示が紀元前400年ごろで終わりました。 紀元前400からイエス・キリストの生誕まで、中間時代と呼ばれます。この間に政治的にも宗教的にも様々な変化が起こります。

1.政治的・経済的背景

  • 政治的状況
    • 紀元前400からヨーロッパ政治地図は、ペルシャ帝国からギリシャ 帝国へ、ギリシャ帝国からローマ帝国へと移っていきます。イエス・キリストが生まれた時代はこのローマ帝国の初期の頃です。ギリシャ文化の影響が色 濃く残っていた時代です。ギリシャ語が共用語として使われていました。
    • 1世紀のローマ帝国は、経済的にも非常に潤います。紀元前90年頃からローマで内戦が始まります。当時の政治的権力者であったポンペイとカイサルが戦い、カイサルが勝利を治め後のローマ帝国の土台を築きます。しかし、そのカイサルも紀元前48年に暗殺されてしまいます。その後、また内戦が、ブルータス、カシウス 対 アントニウス、オクタウィアヌスという構図で始まります。ブルータス、カシウスが敗北し、また残ったアントニウスとオクタウィアヌスの間で内戦が起こります。アントニウスとクレオパトラが敗北し、オクタウィアヌスが勝利を治め帝国内の一切の内戦が終わります。
    • キリストが生まれ宣教した時代は、帝国内で起こっていた内戦もようやく治まり、政治的にも経済的にも安定期に入った時代でした。また近代国家の憲法の基礎を築いた法律が書かれたのもこの時代です。
  • 経済的背景
    • 内戦が終わったことを契機に、経済も発達していきます。農業のほかに多くの製造業(ガラス細工、陶芸、皮製品)が発達するのもこの時期です。中世からルネッサンスにかけてヨーロッパの地場産業が作り上げられていきますが、このローマ帝国の産業がヨーロッパの製造業の基盤を作ったと思われます。
    • 海と陸の交通の便も、貿易が盛んになるにつれて整備されてきます。交通の便の整備と共に、人々の移住もさかんに行われるようになります。
    • このような経済的発展の下に、現在でも残っている多くの建造物が建てられます。

古代ローマ帝国


2.日常生活

  • 軍隊の役割
    • 現代の市民生活も、多くの要素がからみあって形作っていますが、1世紀のローマ帝国の生活も同じでした。帝国内の秩序を保つために軍隊が多くの役割を果たしています。
  • 産業
    • 上で述べたように、当時、貿易もさかんにおこなわれていました。この時代からヨーロッパの地場産業(ガラス細工、陶芸、皮製品)が生まれてきます。しかし、多くの人々は農業に携わっていました。今でいう家庭菜園のようなものでしょうか。
  • 主従関係
    • 帝国の非常に特異な文化として、主従関係が挙げられます。地位の高い人が、低い人を社会的に守ってあげる代わりに、地位の低い人は高い人に仕える主従関係です。この関係は後のヨーロッパ社会の下地にもなったものです。
  • 低い道徳観、モラル観
    • ギリシャ哲学に見られるように、人間の存在価値、存在意義が哲学者の間で考えられていましたが、その一方で道徳観は非常に低く、子供が生まれ女の子であれば捨てられてしまうことも、珍しい事ではありませんでした。
    • 離婚は簡単にできていたようです。また女性の立場は一部の例外を除いて一般的に低かったと思われます。
  • 娯楽
    • 娯楽は、野獣と人間が戦いを観戦する、競馬を観戦する、肉体的な美を求めるスポーツ、肉体を鍛えることと温泉のコラボ、野外での演劇、宴会などがありました。時代こそ違え現代の娯楽と本質的に変わりはありません。
  • 教育
    • 教育は、プライベートで行われていました。公共教育はありません。期間は10月ー7月まで今のヨーロッパと同じ。3つの段階、小(7才から)、中(12才から)、高。
    • 小は男女共に行くことができました。読み、書き、算数。暗記力が重要視されたようです。教育理念は鍛錬、訓練。
    •  中は上流社会の子供たちが受けました。読み書き、数学、歴史、作文、天文学、音楽。体の鍛錬。
    •  高はいろいろな種類、専門分野に分かれていました。高等教育を受けることは、学問の重要性よりも、社会的意義の方が強い。政治、法律、医学、教育、哲学において将来を約束されたから。修辞学、専門的な読み書きから弁論学。現在の大学教育の基礎。

3.異邦人の宗教

  • ギリシャ宗教の概要
    • 定められた律法や道徳的規則はなかった。もちろん神々に喜ばれない行いはあった・・・それも非常に気まぐれ。
    • 毎日の生活にかかわる非常に物質的、迷信的な宗教です。神々にこびれば、物質的に豊かになるというような迷信的な信仰を持っていました。
    • 神々
      • 姿形、性質が人間に近く描かれている。人間に限りなく近いです。
      • 年をとらない。物理的な壁がない。どこへでも行ける、どんな形にもなれし、道徳的に不適切なこともできる存在です。
      • オデッセイの中に出てくる神々
        1. すべての人間は神々の支配にいる。
        2. 人間が決まりどおりに神々に頼む、すると神々が恵みを与える。でも人間同様に神々は非常に気まぐれ。
        3. 運命の概念:決められた運命ではなくて、生きているうちにあたってしまう運(悪運、幸運)のようなもの。
        4. 神々は人間たちの道徳の秩序を守らせる。
        5. ゼウスの様々なセックスは神々の社会を作るためのもの。
      • いけにえ
        • いけにえは、自分が望んでいるものを得るために、または災いを避けるために捧げた。この取引感覚は非常にギリシャ社会では一般的。
      • 魂と死後の世界
        • 葬式の必要性。葬式なしでは、魂はこの世をさ迷い、行き着くところがない。死に対する恐怖、迷信的な思いから。
        • 死後の魂は、意志、知識、知能などではない。魂は、その人と同じ背の高さ、体重をもっていた。地球の影に存在するような状態。
        • 英雄を除いて、すべての人々は死後の世界(Hades)に行くと考えられていました。
      • 英雄崇拝
        • 英雄は生きている間に功績をあげ、死後も下界に生きて生きている人たちを守る力がある。
        • 有名な英雄、ヘラクレス。ラテン語ではハーキュリー。英雄崇拝は、後にキリスト教に影響。殉教したクリスチャンが(使徒、2世紀の教会のリーダー)が中世に入り、ギリシャの英雄の扱いを受ける。

ギリシャ・ローマの神々(ギリシャの神とローマの神がまったく同じであるという意味ではありません。概念は非常にあいまいです。)

ギリシャの名前ローマの名前
ゼウス(オリュンポスの主神
ジュピター

ヘラ(ゼウスの妻、神々の女王)ジュノー
ポセイドン(海・泉・地震の神)ネプチューン
アポロ(予言の神)アポロ
アルテミス(狩猟・純潔の神)ダイアナ
アテナ(知恵・戦略の神)ミナーヴァ
ヘルメス(伝令神)マーキュリー
アレス(軍神)マーズ
デメテル(農耕・大地の神)セレス
アフロディテ(恋愛・愛の神)ビーナス
ディオニュス(豊穣・葡萄酒・酩酊の神)バッカス
ヘファイストス(家庭生活の守護神)ヴァルカン

4.異邦人の哲学

  • 哲学の文化的位置
    • 大まかな特徴
      • 現代の哲学のような客観的、批評的な学問ではない。
      • 中世のような超自然的、神秘的、空想的な哲学でもなかった。
      • 哲学自体が生きる道であった。
    • 宗教としての哲学
      • この時代の高等教育は哲学。
      • 唯一の神(原理)を信じる原動力。
      • 人間にかかわりをもたない存在。
    • 倫理としての哲学
      • 目的は「どのように生きるか」に答える。社会での人間性をどのように高めていくか。すべての学派の共通項:自立、自由、幸福。
      • 善悪をはっきりいった。
      • 3つの啓発・・・考えを受け入れよ、・・・行動から離れよ、・・・行動をしなさい。
      • 哲学者の主張「娯楽や自分自身のエゴのために生きることから離れ、迷信名神から離れ、自由と自制をもって生きるべき」
    • 哲学と個人主義
      • アレキサンダー以後、哲学の中心は個人主義。プラトン、アリストテレスの国家論から個人主義に移った。
      • ソクラテス「人間の魂は知的、モラル的な人格をもっており、人間のもっとも重要な任務は己の魂を磨くことである。」
    • 哲学の社会的、文化的地位
      • 哲学者はいろいろな場で教えた。家の家庭教師。公共のジム、公共の風呂、市場、路上で講演をした。
      • ある人はスポンサーを見つけたり、生徒は授業料をはらったり。

5.ユダヤ教

  • 政治的状況
    • ユダヤ人たちは、紀元前500年から30年まで(ペルシャ帝国からギリシャ帝国へ、ギリシャ帝国からローマ帝国へ)、常に北の大国と南の大国の戦争の間のサンドイッチ状態にいました。ユダヤ人たちは、どちらの大国に加担したほうが得なのか、常に政治的判断をしなければなりませんでした。
    • イスラエルの残された民であったユダ族の影響もあり、地名もユダヤと変えられます。
    • この間、常に戦争下に置かれていたユダヤ人たちは、自分たちの宗教的アイデンティー、神の民という概念を失っていきます。神殿には、異教徒の祭司が居座り、異教徒の神々にいけにえが捧げられていたのです。
    • 紀元前167年ー63年まで、南北の大国に対してユダヤ人たちの反乱が起きます。この時代はマカベの時代ともいわれます。同時にユダヤ人の間でも、支配者たちの間で政治的な権力闘争が起こります。
    • その後、紀元前40年に、ローマ帝国に取り入ったヘロデがユダヤの国王として任命されます。
    • ヘロデの死後、ユダヤは3つの統治下にローマ帝国によって分けられます。
    •  この時、ユダヤは完全にローマ帝国の支配下になったのですが、ある程度の独立性は認められていたようです。
    • この時代にイエス・キリストが生まれました。 
  • ユダヤ教の確立
    • ユダヤ教がどのような過程を経て確立されたのかは、はっきりしたことは言えませんが、だいたいの流れは次のようになっています。
    • 紀元前720年にイスラエルの北の王国イスラエルが、当時中東を支配していたアッシリア王国によって占領されます。この時、イスラエルの南の王国、ユダヤは守られました。そして紀元前580年に、今度は当時の支配者バビロン王国によってユダヤが占領され、ユダヤ人たちは捕囚の民としてバビロンに住みようになります。この時、イスラエルのシンボルであった神殿も破壊されてしまうのです。
    • 結果として、イスラエルの残された一部族、ユダヤが神殿もない状態で、イスラエルの宗教を守ろとしていたのですが、内戦の連続で、神の民として意識も薄れます。
    • 内戦が終わりローマ帝国によってもたらせた恒久的な平和が来た結果、ユダヤ人たちは自身の宗教的なアイデンティーを取り戻そうと、リーダーたちが聖書を読み始めます。しかし、数十年、数百年も聖書から離れていた人々は、旧約聖書を改めて解釈しなければなりませんでした。
    • 紀元前580からの捕囚の民から始まり、戦争と内戦の過程において、そして物理的な平和へと、長い年月を経て、ユダヤ教が確立していったものと考えられます。ユダヤの国王ヘロデが建設した神殿が、ユダヤ教の神殿として確立していた時でもあります。同時にユダヤ教の中に様々な教派が誕生しました。
    • ユダヤ教は旧約聖書が土台になっていますが、律法学者たち、ラビたちの旧約聖書の律法主義的な解釈に基づいてい ました。彼らは、メシヤが現れイスラエルの王国をローマ帝国の支配から逃れさせ、王国の復興させて下さると待望していました。ユダヤ人たちは、イスラエル王国の復興のためにメシアが現れることを待望していました。
    • この時、イエス・キリストが生まれたのです。しかし、神のご計画は、ユダヤ人たちが考えていたようなメシヤによるイスラエルの王国の復興ではありませんでした。ユダヤ人たちの期待は見事に裏切られたのです。

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