神の裁きがまだ来ない理由

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神の裁き、神の最後の審判は、必ず来ると聖書は預言しています。人類の歴史は、紀元前から愚かな行いの繰り返しです。科学の発達によって多くの便利な物が造られて、生活のあらゆる分野で利便性が向上しましたが、人間の愚かさだけは変わらないです。犯罪は増加する一方です。国と国の争い、戦争に終わりはありません。いつもどこかで幼い子供たちが、犠牲になっています。2018年3月10日に私はアメリカにいました。アメリカのレストランに行くと、体重200キロ以上の人たちが、お皿を山盛りにして食べています。それでも半分くらいは食べ残すのです。一方で、アフリカ諸国では、食料難民の人たちが飢えであえいでいます。

このような愚かな世の中で、生きている私たちに向かって、神は「神を信じイエス・キリストを信じなさい」と諭しています。しかし、なぜ神の裁きは、まだ来ないのでしょうか。3つの理由が考えられます。

神の裁きが、まだ来ない理由:人間の悔い改めを待っている

1世紀のクリスチャンではない人たちは、「主イエス・キリストが再臨するという預言はどうしたのか?」とクリスチャンたちに疑問を投げかけていたようです。[sg_popup id=”6983″ event=”click”]その聖書箇所、2ペテロ3章3節ー13節をクリック。[/sg_popup]


創造主なる神は、誰も滅びることを望んでいません。むしろ神は、すべての人と交わりを持つことを望んでおられます。しかし、人間の方が、神の招きを拒否しています。それでも神は、忍耐をもって人間が悔い改めるのを待っているのです。キリストが再臨して神の裁きがまだ来ない理由は、何でしょうか。一人でも多くの人たちが神の愛に気づき、悔い改め救われるように、神は裁きの時期を遅らせているのです。神の救いに預かるのに、遅すぎることはありません。しかし、神の裁きが下された時には、もう手遅れです。ひとたび、神の裁きが下された時には、もう待ったなしです。私たちすべての人間は、神の御前に立ち、神の裁きを受けることになります。悔い改めている人には、この裁きは朗報です。良い知らせです。2019年も早2月半ばです。この世界は一刻一刻、この世の終わりである終末に近いづいていますが、まだ神の裁きは来ていません。だからこそ、自分の罪を悔い改めて、キリストによって新しい人生を生きるチャンスがあるのではないでしょうか。


神の裁きが、まだ来ない理由:悪魔であるサタンの悪が、まだ頂点に達していない

[sg_popup id=”6991″ event=”click”]2テサロニケ2章1節ー12節をクリック。[/sg_popup]この世界は、悪魔であるサタンの支配下にあります。神は、サタンが人間に働きかけ、人間をだまし欺こうとしているのを許可しています。しかし、サタンの働きはまだ頂点には達してはいません。そんなに遠くない未来に、サタンに操られた人間が、神のごとく振る舞い、人々をますます悪に引き寄せようとする日が来ると、聖書は預言しています。そのような時が、まだ来ていないのです。ゆえに、神の最後の審判は未だ来ていません。


聖書全体を通して言える事ですが、神の計画には必ず、定められた成就される時があります。イエス・キリストが宣教し始めた時、ローマ帝国が平和に満たされたパックス・ロマーナ(ローマの平和の時代)でした。平和の時代の中でキリストの教えはあっという間に広がりましたが、混乱の時代であれば、キリストは多くの偽教師の一人としてしか扱われなかったでしょう。イスラエルの人々は、創世記15章13節ー16節に預言されているように、アモリ人の罪が頂点に達した時にエジプトから解放されました。私たち人間には、計り知れない神が定めた時があると思います。その時が満たされた後、主イエス・キリストの再臨があり、最後の神の裁きがあるのでしょう。

参考のために、聞く耳のある者は聞きなさいもクリック。


神の裁きが、まだ来ない理由:すべての時が満ちていない

マタイ24章は、非常に難解な個所です。キリストは、神殿の建物を指さして「これらのすべての物を見ないのか。・・・一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない」と言います。この預言は、70年に起きたエルサレム陥落を指していることは明らかだと考えられます。それに対して、弟子たちの2つの質問をします。[sg_popup id=”7017″ event=”click”]マタイ24章全体はここをクリック。[/sg_popup]

  1. 「おっしゃってください。(エルサレム陥落について)そのことはいつ起こるのですか。」
  2. 「またあなたが来られて世の終わる時には、どんな徴があるのですか。」

ほとんどの註解書は、24章全体が上記の2つの質問に答えていると解釈しています。次の疑問がわくでしょう。「24章のどこからどこまでが、エルサレム陥落の預言なのか。またどこからどこまでが、世の終わる時に関する預言なのか」という疑問です。


[sg_popup id=”7009″ event=”click”]マタイ24章29節ー35節をクリック。[/sg_popup]マタイ24章29節ー35節の文脈から考えると、結論ははっきりしていると思います。キリストは、この個所でご自分の再臨と最後の神の裁きをはっきり言っていると、管理人は理解しています。


ちなみにこの聖句で言われている「この時代」が、いつの時代を指しているかが良く議論されます。ギリシャ語から派生する詳しい言語学的な議論は、ここでは省きます。いずれにしても、新約聖書が書かれているギリシャ語からは、決定的な結論が出ない問題です。

結論

科学的な観点からいえば、太陽が永遠に燃え続ける事はありえません。太陽の輝くがなくなる時、エネルギーが燃え尽きる時が、いずれ来ると言われています。同時に聖書的に考えれば、天地万物のすべてに終わりがあるのです。その時がいつ来るのかはわかりません。明日、来週、来年かもしれません。キリストの再臨と神の裁きの時期を予想する人がいますが、愚かな行為です。キリスト自身が、父なる神以外は誰も知らないと言っているからです(マタイ24章36節)。


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