何のために生まれてきたのか?

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「自分は何のために生まれてきたのか?」などと考えてみても、普通は結論はでませんので途中で思考を停止しまいますね。今日は、改めてこのことについて考えてみましょう。人類という大きな枠組みではなく、1個人の人間、ユニークな存在として何のために生まれてきたのでしょうか。[sg_popup id=”6964″ event=”click”]マタイ10章26節ー31節をクリック。[/sg_popup]

何のために生まれてきたのか

あなたは愛されている

キリストの言葉は愛に満ち溢れています。厳しい言葉のように聞こえますが、弟子に対する思いやりと愛の言葉です。しかし、この言葉は神とキリストを信じていない人たちにも向けられています。この言葉に私たち人間が、生まれてきた目的、理由が隠されています。神は生まれた時から私たち一人一人を知っています。

私たちは、自然界の動植物よりもっと大切な存在なのです。なぜでしょうか。それは、私たち人間一人一人が、神に似せられて創造され、神の栄光を現す存在として生かされているからです。造られた者は、造ってくれた方のデザインによって動かされるべきであり、使われるべきです。造られた者が、造った方に対して「なぜこんな形で造ったんだ!他の方法で生きたい」と文句は言えるでしょうか。製造業で造られた物でも設計者に文句は言えません。我々人間は、創造主なる神を敬い、また恐れるべきなのです。なぜなら、私たちを創造した神は、私たちを破壊することはたやすいことだからです。

人それぞれ、人生の苦労や困難を経験する時期は違います。悲しみを経験する時期も違います。でも神は、私たち一人一人のすべての人生経験を知っています。私たちが何を必要としていて、どのような希望を抱いているかもご存知です。


人間は元々、神を畏れ敬うDNAが産みこまれています。人生の目的も生きる意味も神が与えてくださっていることも、私たちは霊的なDNAによって本来知っているはずなのです。ところが、そのDNA(感性と信仰)は、この世の罪によってよどんでしまいました。感性が鈍くなってしまったのです。

「自分は何のために生まれてきたのか?」神は人それぞれに明確な指針を与えています。問題は、それを私たちのほうで気づくかどうかです。聖書を読み考えてみましょう。祈ってみましょう。神は、私たちが行くべき道を必ず示してくださいます。

神によって創造された人生の目的

人は神に似せられた者として、創造されました。他の動植物とは区別され、魂をもった者として造られたました。ここが人間の出発点だと私は思います。人生の目的、人間が生きる意味も、ここから始まるのではないでしょうか。スピリチュアルと称する考え方

創造主なる神と同じように考える力、感情、善悪を判断する力(人は状況によってその尺度を変えますが)が与えられています。人間の存在意義は、創造主なる神の栄光を現すところにあります。しかし、私たち人間は、罪という厄介物と生きていかなければなりません。心の吹き出物とでもいえるでしょうか。人はこの罪によって他人を苦しめ、苦しめられるのです。

神のために生きる

人は誰でも自分自身が正しいと思い、自分のために生きていきます。それは人生そのものが、その人のものだと考えているからでしょう。自分の利益を求め、自分の人生の目的を捜し求めて生きていくのは、ごく自然といわれるでしょう。

しかし、ここに人間の過ちがあるのです。自分自身を正しいと考えること、そして自分自身のために生きていこうとする自己中心的な態度、自分の人生だから、自分の好きなことを出来るはずだという思い込み・・・など、すべて人間が陥りやすい過ちです。本来、命は誰から頂いたのでしょうか。親からと答える方がいらっしゃるかと思いますが、実は、命は創造主なる神から頂いているのです。もし私たち人間が生きる目的を探しているのなら、すぐそばにあるのです。私たちが気づかないだけだと私は思います。

人生の目的は、人それぞれ違うと考えるのが一般的かもしれません。しかし、今一度、人間が本来持つべき人生の目的とは、何かを考えてみましょう。もし私たち人間が、聖書の証言のとおり神によって創造された者であるのであれば、必ずそれに適った目的があるのではないでしょうか。(造られたものには何でも必ず何らかの目的があります。)もしイエス・キリストが真実の人であれば、この方の言葉から人生の目的が分かるのではないでしょうか。[sg_popup id=”6965″ event=”click”]マタイ6章25節ー34節をクリック。[/sg_popup]

イエス・キリストは、私たちに今も「信仰の薄い者よ」と語りかけてくれています。イエス・キリストの言葉には神の愛が示されています。私たちを暖かく見守る神がいらっしゃるのです。真実の神は生きていらっしゃいます。実際に天地万物を支配され今日も太陽を昇らせ、必要な時には恵みの雨を与えてくださるのです。

神を信じて、神に従って生きていれば、衣食住すべて必要なものはまかなわれます。神によって与えられるのです。このような世知辛い世の中でも、きちんと神は信じる人を祝してくださるのです。しかし、いろいろな問題に私たちは直面する場合があります。やはり金銭面の問題が一番多いのではないでしょうか。夫婦の間も財政的な問題が発端で、関係が悪くなったということも多いのです。ある人は、この問題で思い悩み眠れぬ夜をすごしてしまいます。私たち人間は、自分の力で何とかしようと懸命にがんばります。思い煩います。最後に心身ともにやつれてしまうのが関の山です。

私たちの人生の目的は何でしょうか。それはこの聖句が明確に私たちに教えてくれています。まず神の国と義を求めて生きていく・・・これこそ神に創造された人間の目的ではなくて何でしょうか。神の国を求めるとは、神の支配に自分をおいて常に神に従っていこうとすることです。神の義を求めるとは、神の正しい教え(正義)を祈り求めてこの混乱した世の中を生きていくことです。

生きている間には目標がそのつど出てくるものです。しかし、その目標は一時的なものでしょう。永遠に残る、永遠の命につながる目標は神の国と義を求めることなのです。あなたもイエス・キリストを信じて生きてみましょう。

地の塩、この世の光として

[sg_popup id=”6967″ event=”click”]マタイ5章13節ー16節をクリック。[/sg_popup]

世の光

クラスター爆弾が廃止されるという条約が(アメリカとロシアを除いて)結ばれました。大変好ましいことですね。自衛隊が、そのような爆弾をもっていたと知らなかったという人も多いのではないでしょうか。自衛隊は軍隊ではないはずですから・・・・。建前(憲法9条)では陸海空軍を持っていないと言っていますが、本音では持っているのが実情です。

人間がやることには、常にこのような真偽が付きまといます。このような世の中で、私たち人間は地の塩、世の光として生きていく役割があります。どんなに悪い世の中になっても、悪が公然と行われる世の中になっても、不正が行われくさい物にはふたをするような世の中になっても、私たち人間がキリストを受け入れて地の塩として世の中を浄化するようにと、イエス・キリストは言っています。

私たち人間が、キリストを信じるようになり良い行いをする時、多くの人々が神を信じ崇めるようになります。そのために、私たち人間は存在していると、キリストは教えています。

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