人間が求めるもの

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私たち人間が求めるものは何でしょうか。私たちはいつも何か求めて生きているのは確かです。それが幸せであれ哲学的な真理であれ科学的な真理であれ、とにかく何か求めないといられない存在なのです。なぜでしょうか。

すべての人間にある霊的なDNA

私たちは永遠なる神によって創造されました。神は私たちの創造主でありデザイナーです。私たちが奥深くもっているDNAに神のデザインがあるのです。だから、私たちは、(たとえ信じていなくても)苦しい時に「神様・・・お願いします」と思わず言ってしまうことがあるのです。神社でお参りをしても「幸せになりたい」と心から願うのです。これは人間がもつ「心の叫び」です。幸せ、真理を求める心の叫びです。でも私たち人間は、この心の叫びを創造主なる神に向けず、自分の力で何とかものにしようとしてしまいました。

私たちの幸福願望と主イエス・キリストのことば

確かに私たちに人間は誰でも幸せになりたいと思いますが、幸せの尺度は人それぞれ違います。幸せの定義についても人それぞれ自分の考えをもっているでしょう。また幸せになるための手段、方法が違います。ある人はお金さえあれば幸せと考えるでしょう。人生、楽しければ何をやってもいい、そのためには他の人を多少傷つけるようなことあっても仕方がないし、それが人生の現実だと考える人もいるかもしれません。しかし、ここで180度、発想の転換をしてキリストの言葉を聞いてみましょう。[sg_popup id=”6922″ event=”click”]マタイ5章1節ー12節をクリック。[/sg_popup]

人間が求めるもの

幸せの基準、定義が違います。幸せは自分で勝ち取るものではなく、神によって与えられるものです。何か素晴らしい事を成就した、たとえばオリンピックで金メダルを勝ち取ったからと言って幸せになるとは限りません。逆にさらなる活躍を求められその金メダルが心の重荷になってしまい苦しむ人もいるかもしれません。宝くじに当たったからと言って幸せになれるでしょうか。その大金がアダとなって人生を破壊してしまう人々が世界中にいます。

幸せは、健全な心の持ち方から始まるのです。そのような心を持っている人たちを、神は祝福してくださるとキリストは教えています。たとえば、「心の貧しい人」とはどのような人でしょうか。心が卑しい人という意味ではありません。自分を卑下してダメな人間だと考えているような人ではないです。むしろ、このような人の心は神に向けられるのです。創造主なる神の前では何も誇れるものなどないことを知っている人です。自分の努力によってやり遂げたことであっても、おごり高ぶることなく、むしろ謙虚に感謝の気持ちを持つような人です。そのような人たちを神は祝福すると教えられています。

私たちの心にある宝

またキリストは、私たちの心にある宝について説明しています。[sg_popup id=”6924″ event=”click”]マタイ6章19節ー21節をクリック。[/sg_popup]

私たち人間が求めるべきものは、この世の宝ではないはずです。お金がどれほど私たちを幸せにするかを知っていても、同時に同じお金が不幸をもたらすことを、私たちは知っています。本当の宝は天にあるのです。そして、この世で私たちが得る大切なものも神の恵みであり、天から来ていると聖書は教えています。だからこそ、逆に私たちはこの世で生きている間、天に宝を罪なさいと教えられていると思います。

神がいらっしゃる天は、私たち人間の忘れられた故郷です。私たちが忘れかけている故郷、つまり天の神に立ち返ることこそ、私たち人間の本分ではないかと私は思います。

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