神に似せられて創造された人間

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神によって創造された人間の存在意義は何でしょうか。仮に人間が猿の進化型だとしたら、人間の存在意義はあるのでしょうか。人間は多くの困難と向かいながら、なぜこの地で生きているのでしょうか。人間が、他の動植物とは違う意味はあるのでしょうか。これらの質問に答え、人間が生きる意味と存在意義について考えます。


神によって創造された

命の大切さと使い方

私たち人間は、他の動植物とは区別され、神に似せられて創造されました。[sg_popup id=”6875″ event=”click”]ここをクリックして創世記1章26節ー27節[/sg_popup]を読んでみましょう。人間は、動物を家畜として飼育したり、植物を栽培したり出来ます。動物であればペットとして飼うこともできるし、従わせることも出来るのです。これらの人間の能力は、実は創造主なる神から与えられているのです。人間は、自然と調和するように生きるように造らています。


神に似せられた者として、神の栄光を現す者として、人間は考える力、何かを造りだす能力が与えられています。同時に、人間は神の操り人形ではありません。人間の尊厳である自由意志が与えられています。不幸にも人間は、その自由意志を悪用します。自分の欲望のために、自己中心的に(素晴らしい)能力を自分本位に使ってしまうのです。ここに人間の歴史の不幸があるのではないでしょうか。この世にユートピアは存在しません。私たち人間が本当に自分たちの罪と向き合わない限り、世の中の問題(戦争であれ日常的な強盗や殺人事件であれ何であれ)は決して解決できないと、私は思います。


私たち人間が、神の大いなる愛に気づかされ、新しい人生を始める時が今ではないでしょうか。神は、私たちの心にいつもささやいています。「わたしの下に立ち返りなさい」と。私たちの存在意義は、神にあるからです。私たちが生きている理由も生きる目的も、創造主なる神にあるから、私たち人間は神に立ち返る必要があると、私は心から信じています。人間の存在意義ー人間であるということはどういうことか哲学的な論文が掲載されています。


神に似せられて造られた人間の存在意義

人間は神に似せられた者として創造された故に、考えることでき、判断することができ、また何かを創造する能力も与えられているのです。また私たち人間は感情も持ち合わせています。私たちはロボットではありません。また動植物のように本能のままに生きているのではありません。動物にも多少なりとも個性があります。しかし、人間には、その人一人一人がユニークな存在として創造されているのです。一人一人の個性をもち思考能力と感情表現が与えられているのです。


中国の猫や犬が、どこか中国ぽいでしょうか。アメリカの猫や犬は、アメリカらしくどこか明るくふるまうのでしょうか。日本の猫や犬は、おとなしくしているのでしょうか。不思議なことに猫は、どこの国に行ってもgoing my wayなのです。どこの国の犬もすぐに人になつくのです。これもちょっと考えると不思議ではないですか。


私たち人間は、文化、国籍を超え神によって創造された人間であることに違いはありません。すべての人たちは、神に似せられて創造されているのです。創造主なる神は私たちが生まれた時から、私たち一人ひとりをずっとご存知です。苦しみや悲しみも、また楽しかったこと、うれしかったことも知っているのです。子供の両親がアルバムを作るように、それ以上に私たちのすべてを知っているのです。私たちの髪の毛の本数さえも知っているとキリストは言っています。創造主なる神にとって私たちの存在、命はとても大切なのです。だからこの命を大切して神の御心にしたがって生きていきませんか。


どんなに時代が変化しようが、科学が発達しようが、また肌の色や文化の違いがあったとしても、すべての人間は神に似せられて創造された事実に変わりはありません。私たちの教会には様々な国籍を持った人たち(中国、インド、ネパール、アメリカ、日本)が礼拝に参加しています。肌の色や文化が多少違っても、社会的に育った環境が違っても、人間であることに変わりはないのです。または社会的な地位、貧富の差があっても、すべての人間に共通している性質に変わりはないのです。各国の世界地図を見ると、その国が中心に置かれています。人間が考える事は同じです。これは少し考えると驚くべき事実だと私は思います。


なぜ人間はこの地で生きているのでしょうか。生きる意味は何でしょうか。私たちの人生に目的はあるのでしょうか。ネガティブな面から人間の一生を観察すると、苦しいことのほうが多いように思えます。誰でも何らかの形で病気になります。1度や2度くらい事故は経験するかもしれません。または災害にあうかもしれません。お金をたくさん貯めようがお酒を浴びるほど飲んでも、また異性とお付き合いしても、ある時生きることに虚しさを感じるのはなぜでしょうか。殺人事件があちこちで起きて、オレオレ詐欺で騙されたり、投資会社に騙されたり、この狂っている世の中で生きているのが嫌になってしまうのはなぜでしょうか。


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人間の本分

人間は他の動植物とは区別されて創造されました。人間の人生の目的に肌の色や人種など関係はありません。すべての人間は、それぞれの立場においてまた環境下で、神の栄光を現すために生かされているのです。貧しい人も裕福な人もすべて神の栄光が与えられているのです。人間は大自然の一部として創造されましたが、その存在は他の動植物と一線を画しているのです。私たち人間は、神が創造された自然の中で調和して生きるように、また自然を管理して支配するように生かされているのです。神の被造物である私たちは、神を恐れ敬い神の教えに従う事、これが人間の本分だと私は思います。


ところが、その理想通りにいかないのがまた人生でもあります。なぜでしょうか。むしろ愚かな事(麻薬、お酒、タバコ、キャンブル)をしたり、感情(怒りや悲しみ)に任せて大きな間違いをしたり、誤った判断をして、自分自身を苦しめることの方が多いのです。


私の仕事がら、実際、多くのそのような人々に出会います。人生に悩み苦しみ悲しみ、悲惨な人生を送っている人たちに出会いのです。私自身もそのような人々に出会うと、悲しみを覚えます。どうすることも出来ないその苦しさは、また新たな間違った判断をさせます。その人たちにとっては、抜け出せない底なし沼にいるように思えてくるのではないでしょうか。そして年をとり体も弱り苦しんで死んでいく・・・悲観的な人生観ですね。でも神が与えてくれている人生観は、こんな悲しい人生観ではないです。


私は生かされている

私が好きな俳優に高倉健がいます。もうすでに他界してしまいましたが、あるインタビューの中で次のような事をいっていました。「生活するために、生きるために俳優になったが、今、自分は生かされていると感じている」と言っていました。私が知る限り、高倉健さんはクリスチャンではなかったと思います。しかし、人間がある境地に入った時に、「自分は何か見えない力によって生かされている」と思わされるのでしょう。高倉健さんもそのような心境でこのように言ったと思われます。

 

人間が生かされている目的


私たち人間が、時につらいと思わされる人生で生かされている目的は、神の栄光を現すためです。神によって創造された人間として生きること、そのような認識をもって生きること、神を信じて生きることに、私たち人間が生きる存在意義、生かされている目的があると私は思います。


私たち人間が、神の愛に気づく時、不思議なことが起こります。今まで、愚かな事ばかりして本当にバカなことをばかりやって自分を傷つけてきましたが、それを止めて自分をもっと大事にするようになります。神に愛されているからです。かといって、自己中心的、自分勝手な自己愛ではないのです。どんな苦しみにあっても、ある意味開き直りが出来るようになるのです。「みじめな自分を見たくない、こんなみじめな自分を他の人に見せるのはイヤ、もうこれ以上悲しい思いはしたくない」と現実を避けていたのに、現実を見てそれに対処するようになります。人から隠れて半ば引きこもりのようになっていたのが、神に愛されていると気づく時から、すべてが徐々に変わっていくのです。


これは本当に、非常に、不思議な現象です。言葉ではなかなか説明しがたい現象です。実際にそれを見てみると、k神の愛は素晴らしいと実感するしかないのです。神の愛は、日々あなたにも、私にも注がれています。それに気づくこと、これが肝心要なのです。

読者の皆様に神のあふれんばかりの愛が注がれますように。

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