人間の本分-神によって創造された

Spread the love

人間の本分とは何でしょうか。ある人の人間の本分の定義には、「種の保存です。遺伝子を残し、子孫を残すことこそ生物の本分」と書かれていました。この意味では、人間は他の動植物と変わらないわけです。でも本当にそうでしょうか。議論を白紙の状態に戻して考えてみましょう。

生物の本分=人間の本分でしょうか

進化論の観点から言えば、人間も土の中にいるミミズも存在意義に変わりはありません。人間の本分もミミズの本分も同じです。(聖書と進化論も参考に。)しかし、自然社会から、生物の命の使われ方の現実を見てみましょう。人間以外の他の動植物が、子孫繁栄の下に弱肉強食の世界で生きているのは確かな事実でしょう。人間社会に目を戻してみると、「なぜ人間だけが他の動植物とは違うのだろうか」とは思えないでしょうか。人間だけが他の動植物とは違う特質をもっています。なぜこのようになっているのでしょうか。単に自然淘汰されて、人間が他の動植物を支配しているようになっているのでしょうか。

動植物の世界では、強い者が生き残るという原則があります。この原則に悪は存在しません。子孫繁栄という原則、子孫を残すことこそ動植物の本分だからです。人間社会にも当てはまるでしょうか。弱肉強食の原則、弱い者を助けないのは、人間社会ではいつも時代でも悪と考えられるのはなぜでしょうか。無神論者、無宗教の人の間でも、少なくとも半分くらいの人たちは悪と考えているのではないでしょうか。

人間の本分とは?

聖書には、「人間は神に似せられた者として、他の動植物とは区別されて、神によって創造された」と書かれています。これは本当でしょうか。これが嘘であれば、私たち人間は土の中に生きているミミズと同じ本能のままに生きていけばいいのです。しかし、上下左右360度どう考えても、私には自分がミミズと同じ本能をもっているとは考えられません。現に明らかな違いがあるからです。生命だけの観点から見れば、ミミズも私も違いがない?とも言えますが、生命の形状が違います。

このように哲学的に考えることが出来るのも、人間の特性と言えないでしょうか。人間が動植物と調和して生きていくのは、聖書を知らない人でも賛成できるでしょう。そして、人間が、動植物を何らかの形で支配していることも認めざるえないと思います。(支配という言葉は誤解を生みやすいですが)

「人間は神に似せられた者として、他の動植物とは区別されて、神によって創造された」と書きましたが、この文から神を削除して考えてみましょう。「人間は他の動植物とは区別されて創造された」これには賛同できるのではないでしょうか。聖書が教える神の存在を信じていなくても、「何か私たち人間が理解しえない力によって、私たち人間は創造され生かされている」と言えないでしょうか。この点については、大多数の人が賛成し、また認めざるえないと思うのです。

人間の本分とは何でしょうか。人それぞれ違っていいと、私は思います。しかし、「私たちは、目に見えない力によって生かされている」と言う概念を、たとえ聖書も神もイエス・キリストを知らなくても、読者の皆様に受け入れてほしいと私は心から願っています。

イエス・キリストは、目に見えない力を父なる神と呼んでいます。そして、「あなたはこの方によって愛されている」とも。イエス・キリスト自身が、この愛を示してくださったことも、読者の皆様に知ってくれればと、私の独りよがりでないことを願いつつ、心からお祈りしています。

今日も素晴らしい日でありますように。