クリスチャンにならない理由は、結局自分しか頼れないから

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聖書を学んで神を信じるようになっても、さらにキリストの教えに納得して信じるようになっても、最終的にクリスチャンにならない理由として、ある人が次のように言っていました。「自分を捨てるなんて無理でしょ。結局、最後には自分しか頼れないでしょ」と。このような主張は、何人もの人たちから聞きました。この言葉は、キリストの教えを誤解しているから出てきたもの、と私は理解しています。


自分を捨てる意味

それから、イエスは皆に言われた。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを救うのである。 人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の身を滅ぼしたり、失ったりしては、何の得があろうか。(ルカ9章23節ー25節)

まず「自分を捨てる」という表現につまずいてしまうようです。最初にキリストが言っている意味ではないことを列挙します。事実、多くの方々がこの誤った解釈をしてクリスチャンになることを止めてしまいます。

  1. 「自分を捨てる」は、自分の存在を否定するという意味である。
  2. 家族も家も、両親、兄弟、子供もすべて捨てるという意味である。 
  3. 自分の財産、仕事、地位、すべてを捨ててキリストについて行くという意味である。

上記のような解釈は、イエス・キリストが言っている意味ではありません。ではどのような意味でしょうか。自分が持っている考えや心の持ち方を捨てるということ、と私は理解しています。具体的には、特に次の分野です。世界観、人生観、宗教観、死生観です。この4つの~観は、私たちの人生そのものを形作っているものです。私たちが何かを決断する時、日々の生活の中での言動、行動はこの4つの観と深く関わっているのです。人生を白紙の状態に戻して、キリストの教えを受け入れて、生きていくということではないでしょうか。


「結局、最後には自分しか頼れないでしょ」の誤解

自分を捨てる > 神にすべて頼る > 自分は何もやらないで従うだけである、のような流れで考えている方が多くいます。つまり「自分の力に頼るのはダメだから、私はクリスチャンにはなれない」というのです。「自分が川に落ちたら自分で這い上がるしかないでしょ」とも言っていました。


私は次のように考えています。この世界は、創造主なる神が創った舞台、照明も舞台もパーフェクトです。私たち人間は自由意志を与えられて、この人生を演じている役者です。舞台監督である神からどのように演じるかは、私たちの心に刻まれています。私たちは操り人形ではありません。舞台監督である神は、舞台裏でじっと私たち人間を見つめています。

私たち人間は、神に頼るように、どんな時でも常に神に助けを求めるように言われています。しかし、舞台に立っている役者である私たち人間は、人生を生きていくのが仕事です。川に落ちた時も、神に助けを求めながら自分で這い上がるのが私たちの仕事です。このような時に神は確かに助けてくれるのです。神がロープを投げてくれて「しっかりとロープにつかまっていなさい」と言っているのです。私たちはの仕事はロープにしっかりとつかまっていることです。私たちは何もしないで、神がすべてを整えてくださるという意味ではありません。


神の御心を求めている人には必ず助けが来ます。どのように?、どんな方法で?、どんな形で?、私にはわかりません。

残念ながら、このようなたとえは、私がその方とお話をしていた時には思いつきませんでした。しかし、その後多くの方々にこのたとえで、この世界、私たちの人生を説明すると納得して頂いています。

 

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