クリスチャンになると自分の人生が否定される?

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ある中小企業の社長とわたしは数年前に聖書を学んでいました。その方はフィリピン人の女性にほれ込んでしまい毎月のように数十万円のお金を彼女に渡していたのです。それを聖書を学んでいる間に知りました。いろいろそのことについては話し合いました。「そのようなことは止めた方がいい。」彼は騙されていると知りつつも、お金を貢いでその関係を続けたのです。

次の聖句を読んだ時に彼はジーンときて涙を流したのです。

疲れた者、重荷を負う者

疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」(マタイ11章28節ー30節)

学びは続きました。電話で一時間以上話すことも時々ありました。彼の信仰も芽生え始めていました。そこで次の聖句をいっしょに読みました。

イエスは弟子たちを戒め、このことをだれにも話さないように命じて、次のように言われた。「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日目に復活することになっている。」それから、イエスは皆に言われた。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを救うのである。 人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の身を滅ぼしたり、失ったりしては、何の得があろうか。(ルカ9章21節ー25節)

これをいっしょに読んだ時に彼に衝撃が走りました。自分の人生が否定されていると感じたのです。彼はこの女性にお金を貢ぐことを、あきらめることは出来ませんでした。

しかしこれはまったくの誤解なのです。キリストについていくということは、新しく生まれるということですから、今まで生きてきた人生の基準を変えてイエス様の基準に沿って生きていくことなのです。彼の人格、人生そのものを否定することでは決してありません。キリストは、わたしたちのそのままを受け入れてくださいます。

人間のプライド

この方は、自分の高きプライドを捨てきれなかったのです。キリストの愛を素直に受けることが出来なかったのです。自分の人生、過去をそのまま受け入れてくださるキリストの愛を知ることはありませんでした。逆に彼は、このフィリピン女性に毎月数十万のお金を貢ぎ続けて、最終的に会社は倒産したのです。

結果的に彼のプライド、自負心が邪魔をしてクリスチャンになりませんでした。この方は非常に頭脳明晰な方で聖書の御言葉にいたく感心していました。 しかし、創造主なる神に頼るという考え方にはどうしても抵抗があったようです。個人商店から始めて今までたたき上げでやってきた人ですから、 今更、他に頼るというのは考えられなかったようです。

他力本願という考え方は仏教にもありますが、聖書の教えには決定的に違うところがあります。 それは私たち人間は、衣食住、仕事、日々の営み、自然の恵み(空気、太陽、雨・・・)などすべてにおいて、創造主なる神に 頼っているという認識です。神の恵みと憐れみがなければ、私たちは存在しません。生きていけません。

彼自身、聖書を読んでキリストの教えを理解していました。でも聖書の教えを認めてもクリスチャンにならなかったのです。 生活習慣、考え方を180度転換すると考えると、どうしてもクリスチャンになる決心はつきませんでした。キリストの教えに心から感銘を受けても、この社長さんのプライドまで打ち崩すまではいかなったようです。

わたしは、今でもこの社長さんを思い出します。主イエス・キリストの憐れみがこの社長さんに宿るように。またこのメッセージを読んでいる方々の上にも主の大いなる祝福が宿りますように。

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2件のコメント

  1. コメント、ありがとうございます。このような率直なご意見、本当に心から感謝しています。キリスト教が嫌いであっても、ご質問等あれば大歓迎です。

  2. 人格否定されますよ
    あいつらと少しでも考えが違えばサタン
    それが教会
    キリスト教徒に最大級の警戒と嫌悪を生涯向ける

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