大切なあなたへ、あなたは愛されています

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富士山

日本人にも、主イエス・キリストは語りかけています。イエス・キリストの教えは、西洋の人たちが独り占めできないほど大きなものです。全人類をつつみこんでしまうほどです。読者の皆様、一人一人に主は語りかけています。心の耳を開いて聞いてみましょう。心の目を開いてよく見てみましょう。

主イエス・キリストの教えは、極めてシンプル

クリスチャンではなくても聖書を読むと、世界観が変わり人間として成長していく事をお伝えする聖書入門サイトです。たとえ、神を信じていなくてもキリストを信じていなくても、問題はありません。どんな動機で聖書を読んでも問題はありません。読者の皆様に、聖書を読んでいただきたく(決して押し付けではなく)、キリストの教え、聖書が教える人間の存在意義、教会、信じる意味を説明していきます。

主イエス・キリストの教えは、シンプルでわかりやすいけど、奥が深い。誰の心にも主イエスの教えを届くはずです。何か特別な知識がないと、聖書がわからないなんてことはありません。管理人は、誰にでもわかりやすく主イエス・キリストの教えをお伝えいたします。


すべての人が神の恵みを受けるために

祈り

宗教を人間の造り物と解釈すれば、既存のキリスト教は確かに宗教と言えるかもしれません。しかし、キリストの教えは宗教ではないと管理人は考えています。キリストは、本来あるべき人間の姿を教えています。

またキリスト教は西洋の宗教と考えられていますが、事実はまったく違います。キリストの教えは、全人類へのことばです。国籍や肌の色や文化、そして時代を超えて、すべての人間へ語り継がれるべきことばです。キリストによって示された愛を読者の皆様へ伝えていきます。


キリスト教の本髄を伝えます

キリスト教には、様々な宗派や教派があり、それぞれに伝統の教えがあります。真理は一つと訴えている管理人は、正直恥ずかしいと思います。このサイトは、既存のキリスト教の様々な違う教派や伝統を、出来る限りそぎ落として、出来る限りシンプルに聖書の教えをお伝えします。管理人は、プロテスタントの部類に入りますが、カトリックの方々から多くを学んできました。なぜなら、カトリックの方々も聖書を学んでいるからです。

私が聖書を初めて読んで、身近に感じた聖句です。少し神の御心を知ったような気分になりました。マタイ6・25-34をクリックすると聖句が現れます。

マタイ6・25-34
だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。

聖書を読むきっかけにして頂いたら幸いです。

教会が敷居が高いと感じる方は、ぜひネットを通してキリストの教えに触れてください。教会の礼拝に出席するのがベストですが、最初から誰もがそんな完ぺきにはできないでしょ。 

だから、ネットで教会でもいいです。ご質問等あれば、お寄せください。

キリストの教えは、宗教ではありません。人間が作ったキリスト教はいかにも宗教っぽいです。しかし、キリストの教えは人間の本来の姿を現しています。ぜひ、福音書を一読を。

あなたの日々の成長を助ける今日の聖句を配信しますヨハネの福音書から2-3節の聖句を配信しています。末尾に、注解を加えています。 日々、神の御ことばを読んで神から力をいただき、しっかり生きていきましょう。

翻訳は、新共同訳を使っています。長年、15年以上、新改訳を使っていましたが、月に数回礼拝メッセージをしていた教会が口語訳をつかっていたので口語訳を使うようになりました。今は、新共同訳を使っています。いろんな翻訳を読むのは、非常に良い習慣だと思います。一つの翻訳をずっと読んでいると、翻訳者の解釈に左右されてしまうので。100%完璧な翻訳などありません。

基本的に、どこへ行ってもその教会が使っている翻訳を使うのが、私の基本スタンスです。「~訳でないと礼拝メッセージを作れない」なんて変です。