救いの条件

向上心
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「何をすれば救われるのか。何を信じれば救われるのか」という質問は、よく聞かれるものです。聖書にも似たような質問が、クリスチャンではない人々によってされています。(使徒行伝2・37, 16・30)。この質問に対する答えは、使徒行伝16・30「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます」と書かれています。使徒行伝3・38では「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によってバプテスマを受け、罪を赦していただきなさい」と書かれています。具体的には3つの段階があります。

主イエス・キリストを信じる

イエス・キリストが、天にいらっしゃる唯一の神のひとり子であること、そしてこの方があなたの罪のために、十字架上で死なれて3日目に復活したことを信じる事です(1コリント15・3-4)。主イエス・キリストは、あなたの人生の先生であり人生の師です。あなたを罪の呪縛から解放してくださる救い主でもあるのです。これらの事を心から信じる事です。 信仰とは?

罪を悔い改める

過去に犯した罪、あるいは自分の心に宿っている邪悪な部分を神に告白しましょう。過去にどんなに凶悪な罪を犯していても、人が悔い改める時に神が赦せない罪はありません。本当の自分を神に見せる、見ていただくのです。逃げも隠れもすることはできません。悔い改めるとは、人生の方向転換です。自分が考えていた生き方から方向転換をして、「主よ、私に生き方を教えて下さい」と祈ってみましょう。悔い改めるとは?

主イエス・キリストの名によってバプテスマを受ける

主イエス・キリストをあなたの人生の師と信じ罪を悔い改めたら、主イエス・キリストに名によってバプテスマを受けましょう。バプテスマは、その信者が主イエス・キリストと共に死んで共に生きるために神が定めた儀式です(ローマ6)。単なる儀式と軽く考えてはいけません。神ご自身が、証人としてあなたの信仰告白を聞き、あなたのバプテスマを見ているからです。そして、あなたを聖霊で満たしてくださるでしょう。バプテスマとは?

イエス・キリストがヨハネによってバプテスマを受けた後、神の霊が降ってきてキリストの上にに宿りました。そして天から声が聞こえてきたのです。

「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」(マタイ3・17)

同じように信じる者を神は祝してくださいます。

ある一部の教派では、「信じた時点で救われている」と教えていますが、私たち人間にどの時点で救われているかを判断する権利は与えられていません。救いは神のわざです。神が、キリストの福音によって人々を招き、それに応えた人々は信仰告白をして、信仰によって罪を悔い改めバプテスマを受けます。バプテスマは、ある一部の教派では「人間の行い」と解釈されますが、私は「神のわざ」と解釈しています。神はバプテスマを通して、その人を罪に死なせ復活させるのです(ローマ6章)。

救いは継続的プロセス

一度、主イエス・キリストを受け入れクリスチャンになったら、後はどのような生き方をしていいかというと、そうではありません。この最初の信仰告白、悔い改め、バプテスマは最初の一歩にすぎません。クリスチャン人生のスタートラインに立ったに過ぎないのです。この人生を全うするまで、主イエス・キリストに従っていきましょう。この意味で、救いは継続的プロセスとも言えます。

クリスチャンになったら「こっちのもの」と考えるのではなくて、自分自身が「神のもの」になるのです。神のしもべとして生きていきます。

他のサイト「救いの条件」も参考に

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時刻になったので、イエスは食事の席に着かれたが、使徒たちも一緒だった。イエスは言われた。「苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと、わたしは切に願っていた。言っておくが、神の国で過越が成し遂げられるまで、わたしは決してこの過越の食事をとることはない。」そして、イエスは杯を取り上げ、感謝の祈りを唱えてから言われた。「これを取り、互いに回して飲みなさい。言っておくが、神の国が来るまで、わたしは今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい。」

それから、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。」

食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。しかし、見よ、わたしを裏切る者が、わたしと一緒に手を食卓に置いている。人の子は、定められたとおり去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。」そこで使徒たちは、自分たちのうち、いったいだれが、そんなことをしようとしているのかと互いに議論をし始めた(ルカ22章14節ー23節)。