罪と欲望の奴隷

Spread the love

主イエス・キリストは言いました。「罪を犯す者は、誰でも罪の奴隷である」と(ヨハネ8・34)。誰も自分が奴隷だとは考えたくはないですが、何かの奴隷になっている事は、私たちの人生にはあるのではないでしょうか。欲望と罪の奴隷について考えてみます。罪とは?

人間の欲望

私たち人間が生きている間、突然、何とも説明が出来ない欲望に似た不安が襲ってくる時があります。まるで誰かが導いているように、「やらなきゃ!何とかしたい!欲しい!」という気持ちが沸き上がる時があります。その最中は、まったくその衝動的な考えにも気づいていないのです。

ヘビがエバに話しかけた時のように、悪魔は人間の欲望を掻きたてます。創世記3章にはヘビがエバに話しかけています。「善悪の木の実を食べてはいけないと、神は本当に言ったのか」と。「祈って神を待てなんて誰が言ったのか。お前は十分に頭がいいんだから、自分に頼って生きればいいんだよ。実際、神はそれを望んでいるんだ」と。

人間の欲望は、良い面でも悪い面でもいろんな形で出てきます。幸福感、喜び、平和、家族団らんの時間、楽しい時間を人は望むでしょう。これらは良いものです。しかし、これを得るための手段が問題になります。満たすための物が必要です。車、夏は涼しい冬は暖かい家、PC、携帯などなど。やっぱりお金がないと、これらの物をゲットできません。お金が欲しい!となります。お金を得るにはどうしたらいいか、人を蹴落としてまでゲットするしかない?

人間のプライド

エバは善悪の木の実を食べたかった理由の一つ・・・神のように善悪を知るようになりたかったから。向上心と言えなくもないですが、でもこれはプライドの芽生え。人間はいつ世でも名声を求めます。創世記11章のバベルの人々は、彼らの塔が天まで届けば世界中に名声が広がると考えました。人はこれを向上心と呼びますが、人間社会にいろんな弊害を及ぼします。

 

自分が正しいと考える=自分の正義

なぜか?人間は自分の判断は、正しいと考えます。自暴自棄や自己嫌悪や劣等感といったネガティブな感情でさえ、人はその自分の思いは正しい、正当化されるべきものだと考えてしまいます。「自分がこのような感情をもっているのは、他の人のせいだ」と自分にも他人にも言い聞かせ、自分を正当化しようとするのです。「自分は正しい、他人は間違っている」という枠組みの中で社会は成り立っています。

自分の正義という概念は、負の連鎖反応を起こしています。(「自分が間違っている」と言って、お互いにいつも頭を下げあっている世の中も不思議な世の中です。)どんなトピック、話題であろうと、自分が正しくて相手が間違っているとお互いに考えているから、いつまでたっても問題解決などありません。

 

他の人を蔑む

最終的に、自分の正義は、相手がどれほど間違っているか証明するという使命感を与えてしまうのです。意見が違う人、気にくわない人に対して、嫌悪感さえ抱いてしまいます。「敵はつぶせ!」とまで宣言するまでエスカレートしていきます。そして人は、敵対する人を蔑むようになります。でもこれって悲しい事です。

 

プライドから生まれる欲望と罪の奴隷

欲望の奴隷というと、アルコール中毒症、薬物依存症、ニコチン中毒症などが分かりやすいです。しかし、キリストがいう罪の奴隷とは、上記で述べてきた人間の自己中心的な態度や心の持ち方、すべてを指しています。誰もが一度や二度経験があることです。この状態は、悪魔であるサタンにコントロールされている状態です。悪魔は非常にずる賢く私たち人間を騙しつづけ、世の中を混乱させているのです。

罪の奴隷から解放され、真理はあなたを自由にする

外部参照サイト

コメントを残す

Copyright © 2019 聖書入門-キリストを受け入れ人生が変わる

時刻になったので、イエスは食事の席に着かれたが、使徒たちも一緒だった。イエスは言われた。「苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと、わたしは切に願っていた。言っておくが、神の国で過越が成し遂げられるまで、わたしは決してこの過越の食事をとることはない。」そして、イエスは杯を取り上げ、感謝の祈りを唱えてから言われた。「これを取り、互いに回して飲みなさい。言っておくが、神の国が来るまで、わたしは今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい。」

それから、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。」

食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。しかし、見よ、わたしを裏切る者が、わたしと一緒に手を食卓に置いている。人の子は、定められたとおり去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。」そこで使徒たちは、自分たちのうち、いったいだれが、そんなことをしようとしているのかと互いに議論をし始めた(ルカ22章14節ー23節)。