クリスチャンが変えられる過程

向上心
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人間が、キリストによって変えられる過程を考えてみたい。人は、人間がすぐに変えられるのを望む。自分以外の人には、「変わってほしい。ここ、あそこを改善してほしい」とより強い希望をもつものだ。特に家族のような近しい関係であればなおさら。おそらく、自分自身に対しても同様の希望をもっているけれど、何も変わらないのであきらめる。これが一般的な道筋かもしれない。

しかし、イエス・キリストは、「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない」と言った。今、キリストに信仰を持っている人も持っていない人も、新しく生まれなければ神の国に入ることはできないと言われている。使徒パウロは、クリスチャンの変化がオプションではないことを、ハッキリと書いている。

あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。(ローマ12・2)

わたしは、キリストと共に十字架につけられています。生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです。(ガラテヤ2・19-20)

これらの言葉は、クリスチャンに書かれている。すでに新しく生まれたクリスチャンに書かれている。人は一度信仰をもったからといって、それですべてが変わる訳ではない。日々の信仰の実践で変えられていくのではないか。「人は信仰によってのみ救われる」という教理があるが、この信仰とは、単に神の存在を信じているという意味ではない。神を慕い求め、神を愛する、神に従う信仰を指しているのである。かといって「私たちがキリストのように罪のない人間、罪を犯さない完璧になれる」と教えているのではない。

むしろ、私たちが主イエス・キリストについていこうとすると、変えられていくのではないか。キリストは言った。

疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。(マタイ11・28-30)

キリストから学び続けることにより、キリストの弟子として人は成長していくと思う。これが本当の意味で新しく生まれるという事ではないか。キリストが教える「水と霊によって新しく生まれる」とは、2つの側面があると思う。第一はバプテスマ(洗礼)を象徴する水、第二に、神の聖霊。バプテスマを受けた後、キリストの弟子としてクリスチャンは新しく生まれ続けることが命じられている。だから、「日々、自分の十字架を背負いなさい」と教えられている。

もしクリスチャンが、バプテスマ(洗礼)を受けただけで、その後、キリストから学ばなかったら、どうなるのだろうか。「人はキリストによって一度救われたら永遠に救われる」という教理があるが、私にはわからない。人が救われているかどうかは、人が作った教理が決める事ではないと思う。

私は、むしろキリストの言葉を信じて生きていきたい。裁きの日には、多くの人々がキリストの下に来て信仰告白をするらしい。その時には多くの驚きがあるだろう。キリストを主よ、主よと言う者がすべて救われるわけでもないと。父なる神の御心を行う人が救われると言われている。この言葉を信じて生きていく、これが一番の天国への近道だと思う。

 

 

 

 

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時刻になったので、イエスは食事の席に着かれたが、使徒たちも一緒だった。イエスは言われた。「苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと、わたしは切に願っていた。言っておくが、神の国で過越が成し遂げられるまで、わたしは決してこの過越の食事をとることはない。」そして、イエスは杯を取り上げ、感謝の祈りを唱えてから言われた。「これを取り、互いに回して飲みなさい。言っておくが、神の国が来るまで、わたしは今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい。」

それから、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。」

食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。しかし、見よ、わたしを裏切る者が、わたしと一緒に手を食卓に置いている。人の子は、定められたとおり去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。」そこで使徒たちは、自分たちのうち、いったいだれが、そんなことをしようとしているのかと互いに議論をし始めた(ルカ22章14節ー23節)。