自然体のキリスト教

祈り
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宗教にのめり込まない自然体でキリストを信じる事はできるのでしょうか。宗教の専門家、たとえばお寺の住職や教会の牧師以外の人が、深い信仰心をもっていると、日本では宗教にのめり込んでいると思われがちです。

日本では宗教アレルギーをもつ人もいれば、命を懸けて宗教にはまっている人もいます。もう古い話ですが、オウム真理教が最たる例です。犯罪を犯すまで洗脳されてしまうのです。そこまで極端ではないかもしれませんが、(キリスト教においても)今でも宗教によって洗脳されている人が大勢いるのは、非常に興味深い現象です。

しかし、自然体でクリスチャンとして生きるのは、不自然なことではありません。キリストの極意を知れば、「宗教にのめり込む」ようなことはないです。

1.有名な牧師の言葉であっても、そのまま鵜呑みにはしない

宗教に興味がある人は生真面目な人が多いです。聞いたことを素直に受け取ります。周囲の人たちが認める有名な牧師先生であれば、なおさらでしょう。疑いを持つのは以ての外と感じるかもしれません。しかし、「ここでちょっと待てよ」と自分に言い聞かせてください。人間だから誰でも間違いはあります。思い込みや思い違いもあるかもしれません。聞いたことをそのまま鵜呑みにすることは、もっとも危険な事だと思います。牧師の言葉の鵜呑みは、宗教にはまる第一歩です。

私たち人間は、魚を食べる時に骨までは食べません。骨をとって身を食べます。牧師の話を聞くのは魚の食べ方と似てます。ゆえに第二のステップが必要です。

2.自分で聖書を読み考え祈る

常日頃、聖書を読む習慣をつけましょう。しかし、ただ読むだけでは十分ではありません。読んで考えて、「この聖句の意味を教えてください」と神に祈ってみましょう。その有名な牧師先生が言ったことが本当かどうかここで吟味するのです。自分の信仰に責任をもつことは大切だと思います。神の裁きの日に、「***先生がこのように言っていたので信じました」の言い訳は出来ないと思います。

3.すべての人の文化や宗教を尊重し感謝の気持ちを忘れない

クリスチャンの価値観は、確かにこの世のものとは違います。だからといって、クリスチャンではない人たちの人格そのものを否定するものではありません。信仰は個人個人の自由です。他の人たちの信仰や文化も尊重すべきだと思います。

イスラム教、仏教、ヒンズー教、無宗教、何を信じようと、すべての人間は神によって創造されたのです。神によって愛されています。だから、私も彼らを愛すと心に決めています。

4.神によって創造された自然に感謝する

私たち人間は、自然と共に創造されて自然の協調して生きていくように造られました。ゆえにいつも神が創造してくれた自然に感謝することは大切なことです。

5.神によって生かされていることに感謝する

命は創造主なる神から頂くギフトです。だからこそ大切に使わなければなりません。私たちは神によって生かされているのです。その事に心から感謝しましょう。

クリスチャンは、すべてそれぞれ置かれている立場で何か特別なミッションが与えられていると、私は考えています。だから、今置かれている状況に感謝します。

目に見えない神を信じていると、目に見えるもの、人に目がついつい行ってしまいます。教会堂や牧師に目が行ってしまいがちです。しかし、クリスチャンは、いつも主イエス・キリストを見上げて生きていくべきだと思います。

結論

3,4,5は心の平常心を保つのに役立ちます。人が教える言葉ばかりに耳を傾けていると、神経がそこに集中してしまい宗教、カルト宗教にはまりやすいです。私はあくまでもイエス・キリストだけが、人生の先生だと信じています。同時に、他の人を敬うように心がけています。

聖書に基づく本来のキリスト教は本来自由な宗教だと思います。キリストは誰をも縛り付けたりはしません。誰も縛り付けたり出来ないといった方が正しいかもしれません。人それぞれが、自分の信仰に対して責任をもつべきだと、キリストは教えていると、私は信じています。

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Copyright © 2019 聖書入門-キリストを受け入れ人生が変わる

時刻になったので、イエスは食事の席に着かれたが、使徒たちも一緒だった。イエスは言われた。「苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと、わたしは切に願っていた。言っておくが、神の国で過越が成し遂げられるまで、わたしは決してこの過越の食事をとることはない。」そして、イエスは杯を取り上げ、感謝の祈りを唱えてから言われた。「これを取り、互いに回して飲みなさい。言っておくが、神の国が来るまで、わたしは今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい。」

それから、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。」

食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。しかし、見よ、わたしを裏切る者が、わたしと一緒に手を食卓に置いている。人の子は、定められたとおり去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。」そこで使徒たちは、自分たちのうち、いったいだれが、そんなことをしようとしているのかと互いに議論をし始めた(ルカ22章14節ー23節)。